マイ・ブッカバ・チャレンヂ③マザーテレサ
【マイ・ブッカバ・チャレンヂ③】
中高がミッション系だったのは良い経験だったなと思います。
聖書に目を通し、神父の実物を見たことは貴重な機会でした。
ヨハネパウロ二世やマザーテレサの存在を通して、世界(ポーランドの抑圧やインドの貧困などの理不尽さも)を身近に感じることもできました。
世界史や哲学、あるいはビジネスや教育においても、キリスト教や聖書は私たち日本人が思う以上に西洋には深く刻印されていると感じます。
個人的には一神教に対しては複雑な思い(個人の律としての偉大さ vs. 集団での排他性など)を持っていますが、深くはふれないでおきます。
ひとつだけ言うと「立派な言動は素晴らしい。が、それを他に押しつけるのは違う」ということです。
私は信者ではないですが、マザーテレサにはとてもすっきりと共感を覚えます。
その1:すべてを差し出し、人に尽くすことの素晴らしさ
これほどまでに見事に実践できている人が同時代に生きたことは励みになります。
なぜと問われ、彼女は答えます
「キリストはおっしゃった。貧しい人に行うことは私にすることだと」
私は思います。彼女も神に救われたいから尽くしていたのだと。
もちろん心がきれいからなのでしょうが、「自分のため(⇔人のため)」があってくれたら少しほっとするなあという、ここは私の曲解です。
彼女はインドに来て活動をともにしたいという人に言います。
「あなたの周りにも貧しさはある。身近な人に手を差し伸べなさい。都会の貧しさは心だ」と。
はい、日本にとどまっておきます、とここは素直に。笑
その2:社会事業家としての偉大さ
ご本人はもちろん否定されるでしょうが、Non Profit分野でこれほど世界を巻き込んだ事業家はなかなかいないでしょう。
ナイチンゲールも看護活動の一方、プレゼン力もすごくて実業家の一面を持っていたと読みました。
こういう動き方(とにかく、まずもって自分をどーんと差し出す大胆さ)は女性特有なのでしょうか?
その点、男はニーズとか、リスクvsリターンとかIRRなど面倒くさいことを言いますね。笑
私は煩悩まみれだし、究極の「オレガオレガ人間」なので、自分を捨てられません。なので、正直、彼女がなぜこんなことができるのだろうと不思議でなりません。
ただ、なぜか一方的に親しみを感じています。あんまり偉そうに立派すぎることを言わないからかなあ。
この薄い本を繰り返し読んできました。もう三代目です。薄手の本なのでお勧めです。
少しすれちゃったかな、ちょっと疲れたよと感じたとき、読みます。
子どもの頃、家で怒られたときに優しい近所のおばちゃんに話を聞きに行くみたいな感覚。
そして、ちょっとエネルギーをもらって、ちょっと心がきれいになった気がして、日常に戻ります。
こんなに子どもたちに会えない日が続いたのは15年間で初めてです。特に最近はオフィスにポッチです。
とっても寂しいw
いかに多くを子どもから与えてもらっていたのか、仲間って素敵だな、なんてありがたい仕事なんだろう、としみじみ思います。
アハハ、しんみりしちゃった。
今宵は久しぶりにマザーの話を聞きにいくことにしましょう。笑
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