日本では『批判的思考』は誤解されている?


批判的思考、英語だと Critical Thinking、海外ではビジネスや学校教育でも重要スキルとしてとらえられているのですが、

日本での認識はそこまでではないようと感じていますがどうでしょうか。

中学校・高校、あるいは大学ですら「うちは批判的思考をすんごいやっています」という学校はあまり聞きません。

「批判」って「否定」?

これは何なのかな、と考えてみると、その大きな要因の一つは「日本語の『批判」という言葉が持つネガティブな響き」かなと。

英語のCriticalには「超重要みたいな意味」で日常的に使われることもあって、日本「批判」よりもフラットな印象を私は持っています。

日本で「批判的」というと、どうも「否定的なことを言う」「揚げ足を取る」「後ろ向きな感じ」などを連想することが多いでしょう。

事実、私も「批判」というとどうしても「否定」される気がします。

Criticalは「批評的」とも訳されますが、これも「お前は批評的だ」などと言われると「口ばっかりで手足を動かさない・泥仕事をしない人」とマイナス評価でへこみます。

これだけ『素直な良い子』が尊ばれる日本文化では「批判的思考」が敬遠されても不思議ではないでしょう。

 

辞書的には

  1.  物事の可否に検討を加え、評価・判定すること。
  2.  誤っている点やよくない点を指摘し、あげつらうこと。
となっていて原義は1.評価・判定ですが、日常では2.指摘、の意味が強いでしょうね。

線引きをする、が正しいニュアンス?

このニュアンスについては、先日カント「純粋理性批判」の解説書を読んでいて気が付いたのです。

あの本は決して「理性って悪い奴や」という理性の悪口本ではありませんよね。知らんけど。笑

このタイトルの意味するところは『理性の能力と限界を厳しく吟味する』

 

ドイツ語のKritikはギリシャ語由来で「分かつ」「分離する」が原義だそうで、「明確な線引きをする」という意味があるそうです。

純粋理性批判は、理性の否定・非難ではなく、「理性の範囲の線引きをする(draw the line)」と言われるととてもスッキリします。

 

批判的思考とは

ある意見を(うのみにするのではなく)良し悪しの線引きをする。

線引きをしていくために、いろんな方法で考えていく…そりゃ大切ですよね。

なので、Critical Thinkingの和訳を変えればよい。

  • 吟味的思考
  • 判断的思考
  • 解析的思考
  • 鑑定的思考
  • 分別的思考

あたりですかね。

日本人的には「判断思考」「解析思考」あたりだとやってみようかなと思いませんか?

「なんでも鑑定団」好きな私としては「鑑定的思考」なんかだと楽しそうです。

Critical Thinkingって、海外ではすんごい重要

日本語でどう呼ぶかは別として、Critical Thinkingってとても重要で、これができないと子ども扱いされます。

批判的思考は、大きく「分析+判断」の二要素から成り立っていて、後者の自分なりに判断というのが大切。

それができないと、この人は…

  • 「自分の意見を持っていない」
  • 「自立していない」
  • 「リスクを取らない」
  • 「創造性がない」

となって、信頼を得られにくくなるわけです。

 

日本のビジネス現場でもある程度のレベルに行くと、分析に加えて「自分なりの判断」がないと一人前扱いされませんよね。

「分析はわかったけど、あなたはどう思うの?どうしたいの?」私も若手の頃に先輩によく言われました。

(今の時代は、ビジネス現場に出てからでは遅いでしょうね。海外では中高、いや小学生でもやっているでしょうから。)

批判的思考のない「科学的な判断」って科学的ですらない

コロナ禍でよく「科学的な判断で…」みたいなことがマスコミなんかでも言われましたが、

あの文脈での科学的は「無難な答えのためのエビデンス集め」程度の話でしかなかったではと感じました。

あれは、科学と言うより技術?、いやほぼ信仰に近い。笑

 

科学の本質は「試す」ことで、実に「態度の問題」だと思います。常識を「批判」し、新たな仮説を立て、試行錯誤を繰り返す。

得られた知見は「技術」。技術は移転可能ですが、科学はもっと文化的な営み。

日本はそういう意味では技術立国であっても、科学立国とはいいがたい。だから新しいことを生めない、とまで言っては言い過ぎでしょうか。

 

そして、科学のその大前提がそう Critical Thinkingですね。

権威や既存の意見をうのみにせず、自力なりに分析し・判断する。そして、それを発信する勇気(それを発信しやすい安心感と言う土壌)

文化・歴史の違いは大きい

この批判的思考というか、批判的精神は文化・歴史的な影響が大きいと思います。

欧米の人たちは、民主主義導入時に「神様から認定された王より、民衆(パンピー)が統治する方が上手くいく」説を命を懸けて構築してきました。

ちゃんと王の力も民衆の力も「批判(線引き)」しながら対応する歴史を積み重ねてきました。

 

これはことの善悪ではなく、歴史の積み重ねの違いなので、20世紀半ばにポーンと本格的民主主義を与えられた日本人にとって、批判的思考がなじみがないのも仕方ないと思います。まだ戦後からたかだか75年です。

しかし、これからはやはり身につけないといけない。

身につけないと「いいようにやられる」「あとで困る」の問題が出てきます(後述)。

 

儒学にも蘭学にも優劣はありませんが、幕末に儒学「命」だけでは勝てないでしょう(ちなみに私は東洋思想好きです)。

今の時代の蘭学が、例えば、批判的思考法だったり、プログラミングだったり、グローバル言語に相当するのだと思います。

「素直さ」と「自動化」が思考力低下を推進する

一方で、現代の日本で「批判的思考」を身につけるには、逆風が吹いているのかなと思います。

それは、以下の2点です

  1. 自動化の時代
  2. 素直さが尊ばれる文化(真の素直さと言うより、上位者に口答えしにくい文化。あるいは、少数派に対する同調圧力)

 

まず、一点目の自動化です。

アダムスミスは言っていました「工場のラインに朝から晩までいると、思考力は低下するだろう」と。

現代社会は、際限なき自動化によって「便利で、楽な社会」を築きました。私たちの思考力はどうなっているのでしょうか。

楽で便利 ⇔ 試す精神・考える力、は相反する

楽で便利なものほど、考える力を奪うものはないですから、仕切る側(権力者や企業)は基本的にはみんな自動化したがります。

税金・社会保険の天引き → 使い道に甘くなる。(次はマイナンバーですね)

年齢が来たら自動的に政府管轄機関に子どもを預ける学校制度 → 内容に甘くなる

自分の欲しいものまでスマホが決めてくれるAI活用 → そりゃあ、GAFAM、儲かりますね。中国企業も同じこと考えていますよ。

こういう感じで、自動化が進んで、考える機会がどんどん奪われています。

批判的思考で今の時代に何が起こっているのか「現代社会の中身の良し悪しの線引き」をしないと、「いいようにやられる」ことになります。

 

素直さが尊ばれる文化

素直さという名の下の抑圧。これこそ「批判されるべき」対象だと私は思っています。

この文化は大きく2つからなると思います

  • 上位者に口答えできない文化:内容ではなく立場が正否を決める、いわば身分制。「先輩は絶対って何なん?」
  • 少数派に対する同調圧力:安心して自分の意見を表明できない社会風潮。「多様性が大切だと口では言っているのに、違いが出てくると『格差問題』と言われる…」

 

背景としては「素直に言うことを聞いて、余計な事をしなければ、安定した生活に近づく」という発想があるのだと思います。

ですが、時代に合わなくなってきていると思うんですよね~。

学校における創造性や批判的思考についての本「試験と学校の競争史」のブログはこちらから

 

自由な発言への安心感がないところには多様性もなければ、創造性も生まれえない。

人生最大のリスク

イノベーションが起きにくいといった社会的・産業的な問題もあるのですが、実は一人ひとりにもより根深い危機が忍び寄っています。

日本人は統計的に明らかに「幸福度が低い」(さまざまな解釈はあるでしょうが、その表現方法も含めて…)

これってかなり動物にとって危機的で、「生きる欲望の低下」につながると思います。

 

そして、ちょこちょこ耳にするのですが、人生が行き詰ったり人生の後半において、これまでずーっと抑えてきた思いがいきなり頭をもたげてきます。

「私の人生、(世の中に合わせて生きてきたけど)これでよかったのだろうか?」

こんな場面で今まで避けてきた「批判的思考」です。これは、深すぎてこれまで訓練したことのなかった人にとってはかなり厳しい問いとなります。

 

現代において「自動化」「素直さ」に流されて生きていくことは、楽なようで、実は「人生上の最大の潜在リスク」と思っています。

楽で便利な現代文明の落とし穴。

何も実利的な観点から批判的思考が必要というだけでなく、現代は「時代・社会・自分」をときおり深く批判していかないと、人生の落とし穴におちてしまうリスクがあるような気がしています。

 

今日は

1.批判的思考の名前を変えませんか?「鑑定的思考」など

2.自動化と素直さは楽で便利だが、思考力の敵となる

3.批判的思考は、飯のタネだけでなくて人生でも役立つ。

 

少しでも参考になればハッピーです!

<堺谷武志の略歴>

大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行(海外駐在やアジア戦略担当)を経て独立。2006年インターナショナルな環境で人と自然にふれあうプリスクール「キッズアイランド」設立。保育士。一女の父。東洋拳法二段、京都伝説のアマバン「コンプレックス」のボーカル。週末登山家(最近へたれ気味)。

2019年教育起業家とともにNPO法人ソダチバ・プロジェクトを設立し、代表理事に就任。幼稚園でもインターでもない第三の選択肢「HILLOCK Kinder School」を設立。2022年4月「ヒロック・オルタナティブ小学校」を設立します!
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