不安と心配と心痛と


【不安と心配と心痛と】2022/9/22FB投稿
不安って何なんでしょうね?
「うちの子、こんなだけど基礎学力、大丈夫かしら」とか
「今のままだと老後が不安」とか
「オレは上手く笑えているか」とか。
テレビやSNSは煽ってくるし…、ふと気づくと不安が隣にヘラヘラと座っている。
でも、大丈夫(「三井住友銀行カードローン」吉高由里子)。
不安は哺乳類の特徴らしいです。
哺乳類に共通の扁桃が司っている「これやばくない?」リスク管理機能によって生き延びてきたんですって。
そう、人は心配することでここまでたどり着いた(確かにサーべルタイガーにいちいち喧嘩売っていたら絶滅していたことでしょう)
なので、心配している人!心配しないで!人類はみんな心配してきたから!
ビール王と言われた馬越恭平が言っていた言葉(「日本人の叡智」磯田道史)
「心配はいいが、心痛はいかん」
心配は“心を配る”ことだからいいんだけど、度が過ぎて“心を痛める”までになったら本末転倒の要注意。
心痛している人、実際に周りの人にも迷惑です。
でも、人間ですから時々度が過ぎて心を痛めてしまいがち。
そんな時は、どうしたらいいのでしょうか。
まずは「あれ?心痛になってきてないかな」と気づけるか、そのための基準を自分の中に持っているか?
そして、気づいた時に“痛み”を切り上げて、会いに行ける人がいるか、が大切かなと思います。
会うなら真逆のタイプがいいかもですね。強みと弱みが逆転関係にある人にそれとなく会いに行く。
そいつに「アホやなあ」と言ってもらう。でも、そいつは別の面ではむっちゃアホ、みたいな関係。だから構える必要がない。
で、たわいもない話をしているうちに、ひとりでに痛みはやわらぐ。
そういう友達を(言葉が雑ですけどw)確保しているか、そういう人につきあうに値する人と思ってもらえるために心くだいているか。そこにこそ心配の真の価値がある。
繰返しですけど、心配自体はプラスの作用なんですよね。より良い(=生き延びる)行動に連なっている。
「人間の根っこは不安だわ」みたいなことをハイデガーも言っています(「存在と時間」ハイデガー)
訳もわからずこの世に投げ入れられて、不確定な未来に向けて今を生きなきゃなんです、そりゃ不安でしょ、と。
ちなみに、このハイデガーの不安はSorge(ゾルゲ)といいます。
ゾルゲと聞くと(一定年齢以上の男子は知っている)あのバロムワンに出てくる「ゾオルゲー、ゾォールゲー」を思い出しませんか=これがこの投稿の写真です。子どもの頃、本当に怖かったw
(ネットで調べると、ソ連スパイのゾルゲ説とか、いやそもそもドルゲなんだとか)
下手な心配休むに似たり(「浮世風呂」式亭三馬)~本当は「下手の考え休むに似たり」
大体において、将来の心配ができるなんて贅沢な話です。こちとら「今の対応で精一杯」ですわという人が多いのでは?私もその一人です。
今ココ、に向けて、がむしゃらに手を動かせばいい。
心配性の人を茶化すわけではなくて、心を痛める前の寸止め技術があると生きやすいですよということをシェアしたかったつもりです。
この技術は決して“乗り越えること”だけではなくて、逃げるとか、かわすとか、色んな方法があります。
正面突破だけが能じゃない。
そもそも正面突破ではなく、逃げて(=危険を回避して)きたから、あなたと人類はここにいる。
最近聞いた話です。
上手く行かない時、その原因を自分の努力のせいにする人は短期的に成果が伸びるらしいです。でも、それを運のせいにする人は、寿命が延びるそうです。笑ってしまいました。
目の前のベストを尽くしたら、あとは運のせいにして、長生きしませんか?というメッセージ?
自分の心痛に気づいた方はぜひご一報を。
心ほぐれる与太話はそれなりに持っているつもりです。
例えばですが、自然の中で焚火を囲みながら酒を飲めば、みんないいやつだし、ほとんどの不安は解決できるかもしれません。
(あと別ルートでは、“筋トレをすれば全ては解消する”説もありますw)
これって安易すぎますか?笑
追記:かならず来るぞ、バロムワーン!





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