書感:試験と競争の学校史(斉藤利彦)


強烈な本です。笑

タイトルからして学校に著者がこの面で批判的であることは明らかです。

いわば「出オチ」状態でもあるのですが、中身は精緻で鋭いです。300ページ弱の文庫で1000円、必読です!

 

先日のブログ「学校制度ってすごい!」で「学校とは家庭から子どもを引きはがして、政府に託す行為」とその過激さを話しましたが、託した実態の過去はこれだったかと思うと切ない。今はどれくらい変わったのか、これは大人一人ひとりが批判的に判断していくべきことでしょう。

歴史を教訓として、これからの時代に合った教育をそれぞれの持ち場で再構築していきたいものです。

 

<私の雑感>~本の要約はその後に続きます

・近代「学校の啓蒙装置としての試験」という著者の切り口が鋭すぎてうれしい。西洋では「学者の集まり⇒学校⇒弟子入りのための試験」だったが、日本の場合「近代化条件としての学校普及⇒学校普及ツールとしての試験」と私は解釈。

・村を上げて行うことで「四民平等」意識を図ったという観点は面白い(「村長の息子より小作人の娘が席次が上」を村中が目の当たりにする)

・「試験による競争」「学力(テスト結果)による序列・選別・烙印」の構図の原型は150年前から。

・過剰な競争は教員の不正(少なくとも不誠実)を引き起こしやすい構図、そしてブラックな職場は現代にも通じるものがあるか。

「試験の廃止=体育・徳育へのシフト」は、理念ではなく軍事化に伴うものだったというのは皮肉(日清戦争⇒体力重視⇒試験廃止⇒就業率上昇)

・個人的に残滓と考えるもの:体育教師による生活指導(体育と徳育の組合せに上意下達や号令)、道徳(一つの徳=価値観のあり方を誘導)などは残滓の典型かと思う

上記をさらに総合的に考えると…

・遅れた近代化を取り戻すため教育導入をスピード感をもって行ったメリットもあったが、その代償も大きかった。「過剰な試験」や「軍事化に伴う体育・徳育」は、形を変えながらも「競争による序列化」「劣後者の排除」「態度・振舞いへの過剰な介入」などの形で残っている。そして、今も子ども(およびその権利)を圧迫する。

・子どもの視点は置き去りにされることが多い。いつの時代も大人は「良かれ」「やむなし」と思いながら、子どもに無茶を強いる行為に加担していたことになる。この「大人の無神経さ」は、今は改善されているだろうか、そう信じたい。それとも僕が過敏なだけ?笑

子どもの成長や学びを「測る基準が知識量(=暗記)だけ」という担い手サイドの発想の貧しさ・能力の低さを恥じる時代にそろそろ来ている気がする。

・東大やハーバードは、ヤンキースやレアルのようなもの。学歴へのあこがれはなくならないだろう。本人が納得して目指せばそれはそれでよいし立派だが、みなに強要されるべき筋合いは決してない。全員が野球のテスト漬けで序列化される学校があったらおかしいだろう。なぜ、それを続ける?

本書の要約(時々コメント)

国家制度としての試験(明治初期)=近代学校の啓蒙装置

・試験は学校内部の話ではなく、全国レベルの法で定められていた⇒大事業だったんだなあ

・試験制度をてこにして学校制度を定着させた

~低い就学率を上げるため、「学区取締」職が「試験」を徹底的に実施

~国家統制を強化(試験形態は「達」で明示、「伺」の提出が義務化)

・試験に権威付けをした(学区長、郡長等列席、村人総出観覧の下で卒業試験を行う)

~保護者を競わせる

四民平等の意識の普及(男女貧富にかかわらず公明正大に行う)

~席次至上主義:すべては成績順、罰則としての「貶席」

<写真:上記の環境で小6が口頭試験をされる。いやだ!>

 

・公正を強く問われる状況

~学費は保護者の自己負担にもかかわらず高い落第率⇒村人が激昂(笑)

~学校で「不公正」を徹底排除 →これが「ずるいを避ける文化」として定着か?

・教員へのプレッシャーがすごい

~対策は「暗記がすべて」

~激化する学校間競争によって、他校への偵察派遣

「今の教員は試験のための奴隷である」⇒形を変えて現在のブラック環境に

~様々な不正(変わり身受験、問題の事前漏洩など)

~落第率を下げるため成績優秀者しか受験させない⇒似たようなことが一斉テストでもあった気が…

・試験を管理ツールとして使う

~序列化、選抜、烙印

・上記実態への反省は当時ももちろんあった。ただし、試験・競争・選別は定着化

<就学率:9割を超えたのは1902年と維新から30年以上かかった>

 

事例:明治8年の小学校の卒業テスト

・千葉県椿村:テスト場所は茨城県土浦(東京経由で移動):前日午後2時出発、当日午前4時到着、その日から4日間テスト(22教科)⇒今なら人権問題!

明治後期:卒業試験の廃止=反省というより軍事要請

・日清戦争の兵役検査のため(成績より体力)

・体育・徳育の導入⇒軍事教育へのシフト

やむをえない?時代背景

・富国強兵策しかなかった時代

~遅れた近代化を競争的啓蒙で取り返す(でないと、国が滅ぼされる)

~各種国家制度充実による先進国入り(→不平等条約の改正)

・行政による競争の創出と利用

~学問の投資化:学校を「実利」や「出世」と結びつける

社会ダーウィニズム→私見:これが第二次世界大戦まで連なる底流としての遠因か

~弱肉強食的な考え方が当時かなり普及していた。むき出しの競争の時代

~学校による人格への烙印(成績劣後者のフォローなし)

 

最後に…「米国教育使節団報告書」から孫引き抜粋

「試験準備に支配されている教育制度は形式に堕し、常套に陥る。教師と生徒の側に画一化を助長するだけ。自由探求の精神を窒息させ、批判的に判断を加える態度を圧し殺してしまう」

これが1945年時点でのアメリカ側の見解です。うーん、やはりすごいと素直にたたえるべきでしょうね。

2020年の今、アメリカ云々でなく、私たちは自分たちが大切にしたいものに向かってにじり寄っているでしょうか。

 

歴史って大切ですね。「今」と「今の前提」を知るのにとても役立ちます。

みなさん、それぞれの持ち場でよりよい方向に向けて頑張りましょう!

 

 

少しでも参考になればハッピーです!

<堺谷武志の略歴>

大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行(海外駐在やアジア戦略担当)を経て独立。2006年インターナショナルな環境で人と自然にふれあうプリスクール「キッズアイランド」設立。保育士。一女の父。週末登山家。

2019年教育起業家とともにNPO法人ソダチバ・プロジェクトを設立し、代表理事に就任。幼稚園でもインターでもない第三の選択肢「HILLOCK Kinder School」を設立。2022年4月「ヒロック・オルタナティブ小学校」を設立します!
プロフィール詳細はこちら)(ヒロックの想いはこちら






著者・堺谷武志が運営するプリスクールは「キッズアイランド」はこちら

著者・堺谷武志の個人Facebookページはこちら
お気軽にお友達申請してください。ブログの更新情報やその他趣味の山登りについて等も投稿しております!



ここまでお読みいただき、まことにありがとうございます。 応援していただける方は、以下のボタンを押していただけると助かります(サイトに飛びますがそれだけで、清き一票と数えられます) にほんブログ村 教育ブログ 教育者(幼児教育)へ
にほんブログ村

Follow me!