”自由なクラスルーム”の創設~自由論(4)


自由論スライド・シェア第4弾です。

自由を学びの場でどのように創っていったらいいのかの検討です。

自由と自由の相互承認

「学校の自由」に関連して思い浮かんだのが、苫野教授の「自由と自由の相互承認」という考え方です。

まず、こちらが前回の「個の自由と社会の正義」の枠組みです

そして、次が苫野教授の論を当てはめたものです。

内容は著書「どのような教育が「よい」教育か」から取りました。

これが正しく適用できているか、あるいはそもそも適用できるものなのか、まったくもって私の独断です。苫野教授、すみません。

パンクロッカーのサカイタニとしてはより自由を追求する存在なので、次のような形で変革してみました。

感覚論ですが、日本は子どもの自由や権利に対する感度が低いのではと感じていて、子どもの権利も「子ども権利条約」を本気で実現していってほしい。

私は体罰、性的行為などの問題を見るにつけ、とても疑問に感じることがあります。

それは、教師を性善説でとらえていて王様並みの権限を与えていることです。王様にどうやって鈴をつけるか?、それより民主主義的に決めよう、が近代から現代にかけての発展の歴史だと思います。ましてや相手は子どもです。教師の権力の不当行使(=体罰とか必要以上の圧迫とか)がしっかりとチェックされる仕組みを作ってほしいなと思います。

実際のクラスで自由を体験する

これまでの議論は国レベルの大きな枠組みでしたが、実際問題として変えていくのには時間がかかると思います。

 

目の前の子どもは待ってくれません。そこで、明日からクラスでできることはないかと考えたのが次のスライドです。

ここまで来るとグチャグチャで読む気にならないかもしれませんが、ご興味ある方はぜひお読みください。

当たり前に思っていることが実は当たり前のことではなく、過去の人の偉業の積み重ねだったり、逆に過去の遺物だったりすることがあるかもしれません。

 

 

自由は人生においてとても大切なことで、同時にとても難しい問題だと思っています。

個と全体をバランスをどう考えるかを始め、特にそれを創り出す側に回る場合は本当に難しい。ですから、社会に出る前にしっかり練習しておくべきで、学校はその恰好の場所かと思っています。

「自由って何、やり過ぎたらどうなる」を体験しながら、子どもたちが自治的に回していく、そんな場所にできないでしょうか?

その際に、しっかり自らの自由や権利について知ることから始めてほしい。大切にされたら大切にしようとする、この正の連鎖を信じたい。

これは子どもだけではなくて、現場教員も、もっと言えばどんな場所の大人も子どもも同じだと思います。

お互いが大切にしあうこと、と、自由は表裏一体だったりもします。

それをまずはクラスメイトから。その実現に向けて動く先生が自分の担任だったらとっても嬉しいだろうな。

 

 

<堺谷武志の略歴>

大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行(海外駐在やアジア戦略担当)を経て独立。2006年インターナショナルな環境で人と自然にふれあうプリスクール「キッズアイランド」設立。保育士。一女の父。週末登山家。

2019年教育起業家とともにNPO法人ソダチバ・プロジェクトを設立し、代表理事に就任。幼稚園でもインターでもない第三の選択肢「HILLOCK Kinder School」を設立。将来は「ヒロック・オルタナティブ小学校」を設立たいなぁと活動中です。
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