個と全体のバランス~自由論(3)


自由論スライドシェア第3弾、「個と全体のバランス」です。

 

個人が自由を追求した結果、ぐちゃぐちゃに混乱してどうなってしまうのか?

また各人が自由であるためには、それを保障する社会が前提となってきます。

個の自由と社会のあり方を最大級に粗くまとめたのが次の図です(私がエイヤーで作ったものですので、信ぴょう性はご自分でご確認ください)

 

右側は「社会の正義」としましたが、よく言われるのはルソーの「一般意志」みたいなことを想定しています(全部付け焼刃です)

正義という言葉を取りましたが、ずれるかもしれません(サンデルの正義論を意識してそうしています)

そういった点も豪快に忘れて図式化しました。笑

 

このバランスのどこに線を引くのか?を考えた場合、日本は現状どんな感じだろうかというのが次の図です。

俗に「日本は世界中で最も成功した社会主義国家だ」とも言われます。

全体の調和が個の自由より優先される、という文脈で言えばそうかもしれません。

アメリカはリベラリズムの流れ「新自由主義」が主流のようですが、一方、リバタリアニズム、あるいはコミュニタリアニズムからも活発な意見が出されています。

私としては、もう少し(せめて西側諸国程度には)「自由寄り」、つまり個人の自由度が高くなってほしいなと希望します。

法律面というより、同調圧力のような空気によるなのかなと感じることもあります。

もっと自由に生きたいな~、ずっとそう思ってきました。

友人から見ると「おまえほど満喫しているやつぁ知らん」となりますが(起業でかなり自由になれました。資金繰りとか違う不自由とお友だちになりましたが。笑)

 

私にとっては自由は小学校時代からの課題で、おそらく永遠の課題です。

ボクはあの当時の一部の大人を決して許さないし、ずっと「つまらない大人像」は心にもっていて、それだけにはならないようにしてきたつもりです。そのせいでいまだに子どもっぽいですが。笑

 

余談~上記のルソーの自然状態や一般意志について

元々は、ホッブスの「自然状態」から来ていて、そこでは「リヴァイアサン(万人の万人に対する闘いという最悪の状態)」でした。

それに対して、ルソーが「違うでしょ。人は未開だけど愛情深かったはずだ。」とか。

いずれにしても、合理主義や自然科学の興隆期の息吹を感じます。物理でも物体を大きさをゼロとして、とか大胆な仮定を置くことで方程式化して解いていった時代。

 

今の私などの感じだと「いやいや、そもそも自然状態なんて仮定として置ける?その議論、ワークしないよ」とか「一般意志、生れてこの方渡したつもりはないですけど」とか違和感を感じてしまいます。

それだけ時代が変わったのでしょう。ルソーも暴れん坊将軍(徳川吉宗)の時代の人ですからね。笑

 

<堺谷武志の略歴>

大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行(海外駐在やアジア戦略担当)を経て独立。2006年インターナショナルな環境で人と自然にふれあうプリスクール「キッズアイランド」設立。保育士。一女の父。週末登山家。

2019年教育起業家とともにNPO法人ソダチバ・プロジェクトを設立し、代表理事に就任。幼稚園でもインターでもない第三の選択肢「HILLOCK Kinder School」を設立。将来は「ヒロック・オルタナティブ小学校」を設立たいなぁと活動中です。
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