コロナから気づいた7つのこと
コロナは本当にやっかいですね。
自粛期間は、色々なことを考えたようで、記憶がなかった感じもします。
まるで今年の春を盗まれたかのようです。
緊急事態宣言による自粛という戦後発の出来事を通じて感じたことをつらつらと書いてみたいと思います。
1.基本は「家族と食事」だ
自粛で「不要不急以外はダメよ」とか言われると、私の場合やることがなくなってしまいました。笑
こういう時に上手く切り替えていける人がうらやましいですね。
活動を切り詰めたときに気づいたこと、それは
基本は「家族と食事」だ
という当たり前の事実でした。
それをうれしそうに家族に伝えました(子どもかw)。
妻からは「うんうん、楽しみにしてるのわかる。みんな家にいて三食作るのは大変w」と言われました。
それで微力ながら週に一回だけ作ることにしまして。恥ずかしながらほぼ人生初。
方針としては「包丁は使わない」「普段作らないものを作る」「味付けに凝らない(素を使う)」
一回分の労力代替と目標を低くしたおかげで続いています。毎週の買い物と料理が楽しくなってきました。笑
ゴリラ学の山極教授によると「人間の家族の定義は、食事を共にするもの」だそうです。
多くの動物は取られないよう背を向けて食べるけど、人は向かい合って食事をする。そこが家族のゆえん。
その意味では、自粛によって家族の原点に気づけた良い機会だと思います。
2.子どもは三密で育つ
前述の山極教授によると人間の社会の特徴は「複数の家族が集まって社会を形成すること」だそうです。
これは他の動物では、ボス一匹とその他大勢集団、あるいは、家族だけとなるそうです。
そして、複数の家族が暮らすことから生まれた子ども同士の交流。つまり、遊びです。
今回「三密」という言葉ができたせいで、はからずも気づいたことは
子どもは三密で育つ
ということです。この点については過去の投稿をご参考ください。
3.大人には子どもの代わりができない
「子どもは三密で育つ」と並行して挙げられるのは、
大人には子どもの代わりができない
これはお母さんたちから教えてもらったことです。
自粛で色々工夫してみた。楽しいこともあったけど、どうしても一つだけできないことがある
それは「大人は子どもの代わりになれない」でした。
どうしても「遊んであげる」とか「世話をする」とか「無理にのびのび」などになってしまう。
子ども同士が遊ぶことは、とても原始的に重要な体験だということだと思います。
兄弟が少なく、近隣の子ども同士の遊びも少なくなる中、子ども同士の視点は忘れられがちですが、とても大切なのです。
4.困難を乗り越えられる大人になってほしい
もう一つ、保護者がよくおっしゃっていたこと。
困難を乗り越えられる大人になってほしい
これはまさしくコロナによって気づかされたことではないでしょうか?
とかく「安全に、苦労のないように」みたいな動きも見られがちですが、
あらためてこれ(困難を乗り越える力)が一番頼りになります。
ここに自信を持っている人はそうそうつぶれない。笑
乗り越える方法は様々だと思います。
たとえば、それは、あたふたせずぼーっとしながらやり過ごすでもいいのかもしれません。
あるいは、チャンスとばかりに自己研鑽とか、あるいは将来について見直して方向転換、もいいでしょう。
いずれにしても、自分で考えて、自分で決めること。
つまり、自立です。
HILLOCKで大切にしたいと考えている「Confidence(自信)」「Collaboration(多様性と協働)」「Creativity(一歩踏み出す)」などが、
一人ひとりの底支えになってくれると嬉しいなと思います。
5.科学的に考える
少し偉そうな物言いになりますが、今回のバタバタを見ていて「日本って本当に科学立国なのか(少なくとも目指しているのか)」と思いました。
・事実を事実として受け止める
・議論する
・誤っていたら正す
みたいな科学の基本的な約束事がとても弱い気がしました。(あと日本発の論文が少ないようですね)
日本には、技術やエンジニアリングはあっても、科学が弱いのかな
とっても情緒的で、空気次第ですぐ方針が変わる。
そして、文句を言わない弱い人たちに対策を過剰に強いる、その典型が子どもでした。
「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、とかくに人の世は住みにくい」
漱石の時代から日本はあまり進歩していないのかな?
一方で、専門家会議の活用などは従来から比べると、科学的だった部分もあります。
因果関係は後日検証として、普段「結果責任」を唱えているのですから、これまでの成果はそれなりに認めてもいいのに、みんな文句ばっかりなどとも思います。
文句言ってないでやれることやろうぜ!
これからの子どもたちには「情報の集め方」「分析」「議論」「振り返り」などを科学的にやれるようになってほしい。
STEM教育とても大切です。
6.ICTは現代の蘭学だ!良し悪しではなく必然
運営するKids IslandとHILLOCKは、3月から6月まで途中はさみながらも休校しました。
3月半ばに「オンラインを何かできない?」とスタッフに呼びかけた時は、Youtubeをアップしたことも、Zoomなんて名前すら知りませんでした。
が、一週間後には動画を何十本もアップ。
4月からは短時間ですがオンラインクラスを実施、動画配信などとの組合せで「学びをゼロにしない」工夫をこらしました。
はじめは幼児(小さい子は2歳児)にどうかと思いましたが、一部の子どもには響きました。
スクールとしても、Nature & Digitalというコンセプトで模索することになりました(まずは、iPadを子ども用に一台買って公園に出かけることから始めます)
改めて気づいたのは
ICTは現代の蘭学である。良し悪しではなく必然である。
明治時代に西洋を取り入れてなかったら、どうなっていたでしょうか?(別に儒学がダメといっているのではありませんよ)
信長流に言えば「是非に及ばず」です。
AIは中国から一周遅れ、ICT産業で追いつけるイメージすらわかない…
手元の15年前の幼児教育のテキストには、教室のイラストにPCが載っています。
教育って社会の縮図なのに、ICTが排除された空間を作ってどうするのでしょうか。
ましてや知恵のアップデート機能が求められて学校で新しい知恵を取り入れないなんて…
そして、一番の問題は、ITリテラシー教育がなされないまま、子どもを社会にさらしていることです。
可能性と危険性を伴うツール、身の守り方などをしっかり教えてから世に送り出さないのは、大人として無責任だと思います。
7.教育で最も大切なものは?
私たちは2022年4月に小学校(認可外なので正式には小学校と名乗れませんが)を作る計画です。
これまでも色々と考えてきましたが、コロナをきっかけにして人生や教育についてより深く考えました。
教育に大切なこと、それは色々とあります。
コンセプト、カリキュラム、アプローチ、教員のあり方、などなど、本当に社会の縮図であり、かつ、子どもたちが活躍する30年後の世界をイメージし、そこで効果がでるようになんて、できるかどうかは別として、目指すわけです。
全部大切、それでもなにより大切なものって? それは笑顔かな。
というのが、現時点での結論です。
特に、教員(HILLOCKではLearning Sherpaと言います)が子どもたちの前では笑顔でいること。
子どもにとってこれ以上に心強いことはないと思います。状況を問わず万能ですし。
もちろん、笑顔のない教員は絶対ダメなのか、とか、うわべだけ笑っていても、とかもあるので、程度問題ですが。笑
笑顔でいられたら、少しくらいは勇気の素を子どもたちに届けられる。
そして、30年後の彼ら・彼女たちは、次の世代に笑顔を。
うーん、どうもコロナは人をセンチメンタルにさせるらしい。というのがコロナからの気づきの番外編。笑
ということで、今回は、コロナから気づいた7つのことを書いてみました。
- 人生の基本は、家族と食事
- 子どもは三密で育つ
- 大人は子どもの代わりができない
- 困難な時こそ乗り越える
- 科学的に考えよう
- ICTは必然
- 最後に大切なのは笑顔
あなたも気づいたことが合ったらシェアしてください。
少しでも参考になればハッピーです!
<堺谷武志の略歴>
大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行(海外駐在やアジア戦略担当)を経て独立。2006年インターナショナルな環境で人と自然にふれあうプリスクール「キッズアイランド」設立。保育士。一女の父。週末登山家。
2019年教育起業家とともにNPO法人ソダチバ・プロジェクトを設立し、代表理事に就任。幼稚園でもインターでもない第三の選択肢「HILLOCK Kinder School」を設立。将来は「ヒロック・オルタナティブ小学校」を設立たいなぁと活動中です。
(プロフィール詳細はこちら)(ヒロックの想いはこちら)
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