学校の二つの側面
なんか学校についていろいろ考えていて、思いついたことをスライドにしました。
ちょっと見方がひねくれ過ぎなのかな、と思わないでもありません。
現役の教員は腹立つだろうなとも思います。
でも「考えるほどもしかしたら本質かも」と感じていますので、しばらくの間戯言にお付き合いください。笑
学校は本当に子どものためのものなのか?
質問です。「学校って、子どものためのものですよね?」
でも、本当にそうなのでしょうか?
学校っていかにも「子どものための場」かのように取り扱われていますが、ある文章を読んではっとしたことがあります。
出典は忘れまして、かつうろ覚えで申しわけないのですが、たしか以下のような内容だったと思います(出典や詳細をご存知の方、お教えください)
- 学校は、近代国家であることを示すために作られた行政機関にすぎない。近代国家を証明するには、国会や憲法や裁判所が必要なように、制度としての学校が必要なのである。
たしかに、学びだけが必要なのであれば他にも方法があるわけで、国家がここまでお世話(介入)するには、もちろん人材育成もありますが、国家成立に見せるツールとしての必要だったという考えもあり得ます。
いずれにせよ、現時点でも「行政機関」であることには違いありません。
それをまとめたのが下の図です。
個人的な感覚としては…
ある時点から「あれっ、学校って自分のためのもんじゃないかも」と感じました。
やりたいことやれないし、ごちゃごちゃうるさいし。
「学校って先生のためにあるんだ。生徒が決められることってほとんどない。俺たちはコマに過ぎない」と。
小5の「将来の夢」で「学校の先生になりたい」と書いた私。真の理由は「こいつに教育を任せてられない」
そりゃ、教師に嫌われますね。笑
Mr.シニカルの登場
ここからは私の友人の「Mr.シニカル」に登場していただきましょう。
彼はいつもシニカルで(斜に構えて)、皮肉ばかり言っています。的外れなことが多いのですが、時折真実が混ざっていて、たちが悪いです。
とりあえず、Mr.シニカルの独り言に耳を傾けてみましょう。
学校は「子どものための場所」ではあるんですけど、同時に行政機関なんです。
会社に例えると、「文科省が本店で、公立学校が支店、私立は子会社みたいなもん」です。
似たような感じで、警察について青島警部が似たようなことを言っていました(古いか)。
「事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起きているんだ」ってね。
いずれにせよ、お役所ですから本社の言うことは聞かないといけないですよね。
行政機関ですから、①法律に沿ってしか動けない、②お役所としての作法がある(上には従う)、は守られないといけません。
問題をややこしくしているのは、「文科省は直接指示はできない」のです。これは戦争の反省もあってアメリカからそうさせられたからです。
だけど、方向性は示さないといけない。そうしないと「文科省がちゃんとしないからだ」と国民からケチをつけられる。すると、政治家が怒りますよね。
役所は非難されないのが最優先です。あとは天下り先の確保…あっ、これは言い過ぎか。
いずれにせよ、直接手は出さないけど、間接的統治が必要なのです。
この仕組みを何というでしょうか?
そう「院政」です。後白河法皇とか裏からあやつる系、日本史の頻出です。こういうために勉強しているのですよ、ご存知でしたか。笑
あと、よくあるやり取りとしてはこんな感じ。
保護者「あそこの学校ではこんな革新的なことをしているんですよ。ぜひウチの学校でも!」
現場「校長が乗り気じゃないのでできません(というかそんなこと校長に言えません)」
校長「教育委員会に聞くとネガティブな反応(というかそんなこと教育委員会に聞けるか!)」
教育委員会「文科省がオッケーするわけがない(というかそんなこと文科省の誰に言えばいいの)」
文科省「学校長の判断でできる仕組みになっている。なんでも文科省のせいにしないでほしい」
全員「なるほど~。確かにむつかしいですよね。まずは今まで通りでいきますか」
となって振り出しに戻る…。よくできている、これならだれも責任を取らなくていい。
Mr.シニカル、調子が出てきたようでしゃべりまくっています。
民間の場合、経営のポイントは「人、モノ、金、情報」の資源をどう配分するかといわれます。
その意味では、文科省としては「人事権、教科書、予算、指導要領」という「人、モノ、金、情報」の大枠は握っているので、方向性はコントロールできます。
かつ、現場が最終責任を取る仕組みになっているので、直接責任を必要はない。よくできた仕組です。
とはいえ、文科省にも言い分があります。現場では勝手なことをしにくい仕組みにしておかないと大変なことになるからです。
と申しますのも…
「教師が自由に工夫をした教育」と「独断的で身勝手な教育」
いったいどうやって区別すればいいでしょうか?
「現場にもっと裁量を!」と言っても、もし変な思想を持った校長や教師がいたら、どうするつもりでしょう。
真っ赤な共産党員に「北朝鮮万歳!」、ネトウヨに「神国ニッポン!」とクラス内で教えられたらどうするのでしょうか?
公務員として守られているからクビにもできない。
だから、余計なことができないようにガチガチに縛るしかないのです。そう、指導要領と教科書、そして人事で。
中には「あそこの名物校長はこんなことをした。できるはずだ」という人がいるでしょう。
彼らは「変人かつ実力者かつ人気者」として特別にお墨付きをもらった人で、そういう人に対してはお目こぼしがあります。
凡人がまねをすると痛い目にあいます。
というより、そんなに簡単に変えられるなら、すんごい変な思想の校長が暴走した場合止められないじゃないですか。危なくてやってられない。
好きで自由を奪っているんじゃないのです。
行政機関ですから。役所ですから。きちんとやらないと政治家が怒ってくるのです。
それに、実験的に新しいことをやろうとすると「格差助長」とか言われるし、何もやらないと「だから世界におくれを取るんだ」といわれるし、大変なんです。
Mr.シニカル、なかなか過激です。
教師だって新しいこと、やりたくないわけではないのです。
ただ、法律が絶対の行政機関だし、上司に服従の地方公務員なのです。
「意に添わなければ飛ばされますから。私だって家族がいるんだ、あなた生活の面倒見てくれるんですか?」
だから
「アクティブラーニング?プログラミング?英語?ぜーんぶ、やりますよ。」
「担任一人で35人相手にきめ細やかな教育?やります!」
「コンプライアンス、オッケーわかりました。当然、追加人員なしですよね、わかっていますとも」
「とっても変な保護者の対応?反社会的勢力の親への対応?はい、全部やります」
「頑張って、疲弊して、からだか心をこわして、一人ひとり沈んでいくんです。でも、やるしかないんです。」
みんな期待しすぎなんです。
行政機関ですから、いわば区役所ですよ。
区役所にスタバのような気の利いたサービスは期待しますか?もうちょっと期待値下げてもらっていいですか?
とは言っても、教育は歴史的には大きな役割を果たしてきたんですよ。そこは忘れないように。
明治時代には、時間がルーズな江戸時代の民に毎朝定時に工場に行かせ、良い越しの金を持たない江戸っ子に貯金をさせたのですから。
徴兵したら勇敢に戦うし、産めよ増やせよで子どもは作るし、税金を納めて工業力を強化しました。
「富国強兵策」に貢献しました。
日本が明治以降躍進できたのは(それと戦争に突っ込んでいったのは)何といっても、教育の力の偉大さを示しています。
戦後、工業力によって不死鳥のごとく復活した原動力も教育です。
工業製品は「品質管理」が命。不良品がないのが大切なので、均一的な人材がそろっていることは大きく貢献しました。
不良が少ないほうがいいのは、製品も生徒もいっしょですね。全体の品質にかかわりますから。
校内暴力?不登校、抑え込むしかないでしょ。あるいは、はじき出すんですよ。
全体のためです、多少の犠牲はやむをえません。
それに…%’&’$%$#
Mr.シニカルがとまらなくなってきたので、このあたりで終了~~!
で、何の話だっけ?
サカイタニ「ダメだよ、Mr.シニカル、言っていること極端でしょ?」
Mr.シニカル「ごめん、ごめん。でも、そうかなと思って…」
サカイタニ「みんな、がんばってるんだよ」
Mr.シニカル「でも、結果出てないじゃん」
サカイタニ「またそういう本当のことを言う。で、なんの話していたっけ?誰かのためのどうとかこうとか」
Mr.シニカル「学校の話!」
サカイタニ「あっ!」
Mr.シニカル「ほらね、議論の間じゅう、ずっーと子どもの視点不在だったでしょ?そういうことだよ、プンプン」
ちゃんちゃん、でも全然おあとはよろしくない。
サカイタニ「で、これって誰がわるいの?」
Mr.シニカル「♪誰が悪いわけでも、誰のせいでもなくて…」
サカイタニ「(ごめん、流すね)あえて言えば誰?学校の先生?校長?教育委員会?文科省?政治家?」
Mr.シニカル「それでもあえて言えば、仕組みかな。だとすると仕組みを作る政治家かな?」
サカイタニ「だとすると、選挙行かなきゃ」
Mr.シニカル「選挙は選挙でいかなきゃだけど…それで解決する?」
サカイタニ「・・・」
PS:
今回ちょっと友人のMr.シニカルの登場でおふざけがすぎましたが、学校の問題はほんと難しいです。
今の時代にゼロから作るとしたら(こういうのを「ゼロベース思考」と言います)、「今のような学校を創るだろうか?」
私ならここまでクリエイティブな学校は作れません。笑
一方、世の中は「ああしたらいい。こうすべきだ」と簡単に言えるほど単純ではありません。
「あんたが言ってできるくらいなら、だれかがもうやっとる!」
チャンピオンのボクサーに「ボディをもっと打て」とか「ジャブから入れ」とか騒いでいるのと同じですね。
「世界で一番強いんじゃ、わかっとる」と。笑
出来上がった組織のアップデートは世界中の課題です。予算の制約もある。それぞれの立場や欲も絡みます。
唯一の正解のない世界でもあります。
だいたい教育界に関わる人の多く、特に現場の人はほとんどが、純粋に子どものことを考えて動いていますからね。
教師の中には自ら保護者でもある人も多いので、どちらの立場のむつかしさも体感しているはずです。それでも変われないのです。批判ではなくて、地域でサポートすべきですね。
やはり、根幹的には制度疲労なのでしょう。
でもね、やっぱりそれは大人の理屈。
どこまで可能かわかりませんが、保護者の声、子どもの声をもっと(もう少しだけでも)反映できないか。
そして、子どものための場として、時代に合った「ソダチバ」を作っていくのは、決して教育関係者だけではないと思います。
保護者はもちろん、地域社会、政治家(やっぱりここは重要)…
全ての大人がもう半歩踏み込んで、子どものために頑張る必要があると思います。
変えるのは大変。
でも、やらなきゃしょうがないじゃん、大人なんだから。
やると楽しいはずなんだよ、きっと。
だって、大切な子どものために何かするって最高でしょ!
このMr.シニカルの意見に私も大賛成です。
「子どものための場」≧「行政機関としての役割」になれるように、みんなで頑張りましょう。
少しでも参考になればハッピーです!
<堺谷武志の略歴>
大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行(海外駐在やアジア戦略担当)を経て独立。2006年インターナショナルな環境で人と自然にふれあうプリスクール「キッズアイランド」設立。保育士。一女の父。週末登山家。
2019年教育起業家とともにNPO法人ソダチバ・プロジェクトを設立し、代表理事に就任。幼稚園でもインターでもない第三の選択肢「HILLOCK Kinder School」を設立。将来は「ヒロック・オルタナティブ小学校」を設立たいなぁと活動中です。
(プロフィール詳細はこちら)(ヒロックの想いはこちら)
著者・堺谷武志が運営するプリスクールは「キッズアイランド」はこちら
著者・堺谷武志の個人Facebookページはこちら
お気軽にお友達申請してください。ブログの更新情報やその他趣味の山登りについて等も投稿しております!
ここまでお読みいただき、まことにありがとうございます。 応援していただける方は、以下のボタンを押していただけると助かります(サイトに飛びますがそれだけで、清き一票と数えられます)
にほんブログ村