思うこと:ホンマもんの教育って?
私は、大阪の私立(中高一貫校)を卒業しました。
これは本当に偶然が重なって、行くことになった学校です。
小学校で抑圧された感覚を持っていたので、解放された思いでした。地元中学の校内暴力とも無縁ですし。
基本的には、指導は成績についてがほとんどで、ある意味では味気ないのですが、成績さえ良ければ特に何も言われなかったので、私にとっては比較的過ごしやすいものでした。
小学校時代は、「終わりの会」が最悪
小学6年の頃は、「終わりの会」で毎日(本当に毎日)、つるしあげられていました。
今でもセリフを暗唱できるくらい、不快な時間です。
日直:「今から『終わりの会』を始めます。今日一日振り返って、良かったことは何かありませんか」
全員:「…(シーン)」
日直:「では、何か悪かったことはありますか」
女子:「今日、堺谷君が〇〇をしました。悪いと思います。謝ってください」
担任:「堺谷、なんでそんなことしたんや。あかんな。どうすんねん。」
私:「すみませんでした。」
女子:「許してあげたいと思います。二度としないでください」
うぉ~、今思い出しても腹が立つ(笑)。
毎日これでもかというくらい悪さをする僕も悪いですが、ようそれだけ人のこと悪く言えるな。
5年生の時の将来の夢は「教師になる(なぜなら、こんな教師に教育を任せられないから)」でしたが、6年生の時には「弁護士になる(なぜなら、僕は責められた人を弁護する)」と夢が変わっていました。
野球選手になる夢をあきらめてからというもの、反面教師的な夢しか浮かびません。心がひねくれているのですね。
話がそれましたが、この「終わりの会」って、今思えば「〇〇党の自己批判とかいう洗脳手法ではないか!人権侵害だ!」とくらい言ってやりたいのですが、まあ、その場は「何をやっても僕は悪く言われる」とひねくれていました。
中学・高校は勉強は大変だけど、気分は楽でした。
でも、あまり自由はありません。
部活の回数も制約されているし、文化祭もまじめくさっているし。
生徒主導のイベントも実際には、生徒の自由は制約されていました。
青臭い話ですが、
「結局、学校って先生のためのもんなんだよな~。生徒はコマやな。」
「成績が全てなのかな。人柄がいいヤツでも成績が悪ければ、みんなの前でボロクソ言われたりするし。」
と感じる部分はありました。
教師になるという小5の夢は、いつの間にかなくなっていました。
自分の性格を考えると、22歳から60歳までずっと同じことをやり続けるのは無理。
「今見ている姿が教師なら、こんなのに魅力は感じないな」
なんて生意気なことも思っていました。
担任は、加トキチ
私の6年間の内、最も長く担任をしてくれたのは、加藤先生(通称:加トキチ)という若い数学の教師でした。
いいのかな、実名出しちゃって(笑)
地味でまじめ。生徒への押さえもあんまり利かない。すみません、ひどい書き方ですね。
でも、数学を教えるのは上手でした。論理的に、淡々と説明していく。
私が数学がそこそこ好きになった理由の一つだと思います。
私が全教科を通して6年間で最も好きだった授業の一つは、高2の時、学期の合間にしてくれた「数学の歴史」の話でした。
加「今日は時間結構あるな」
生徒「なんか面白い話、してください」
加「はーい(これが口癖)、じゃ、今日は数学の歴史の話をします」
生徒「…(いや、勉強の話じゃなくてw)」
私 史上、最高の授業
加「数学っていつから始まったか知ってる?
古代文明で、そうエジプト文明とかメソポタミア文明で…、幾何学とか天文学が起こって…」
「ギリシャの時代には…」
「紀元ゼロ年頃に、ゼロの発見。これはインドなんです。このゼロの発見で、数学は大きく発展したんです。」
「宗教の影響とかで、数学はちょっと停滞します。」
「近代に入って…」
ぐーっと引き込まれました。好奇心が根本から揺さぶられるような素晴らしい授業でした。
記号と数字の裏に、生身の人間の叫びが聞こえてくるような。
みんな、シーンとして聞き入っていました。
「授業がいつもこんなだったらいいのに」という美しい瞬間でした。情景が浮かびます。
次の週から戻りましたけど。いつもの(わかりやすいけど)退屈な授業に(笑)
進路指導
高校生なんてシニカルなもので(私だけ?)、教師に多くを期待していたわけではありません。
だいたい、親以外の大人というものは嫌いというか、苦手だったし。
下品で無神経で。人のことを傷つけておいて「ガハハ」みたいな。どうしようもない大人たち。信じられるわけがない。
何か割り切れない怒りのような衝動を抱えていて、それをごまかしながら、やり過ごしながら、でも、そんな素振りは見せずに、なんて日々でした。
同時に、管理された中でも、勉強の合間に部活や学祭、バンドなど、それなりに楽しんでいました。
目を盗んで、帰り道には多少の悪さもしたりして。
まあ、10代というのはみんなスッキリしないものなのでしょうね。
そんな中、高1の進路相談で、加藤先生と…
加「堺谷さぁ、第一志望が京大法学部、第二志望が京大工学部、第三志望が京大経済学部って書いているけど。堺谷は、将来、何になりたいの?」
私「いや、京大に行きたいです。将来は、そこから考えます」
加「ふ~ん。京大と東大だったら、どうして京大なの?」
私「東大に行って、幸せになれるイメージが湧きません。それに、アメフトやりたいですし。」
高3の時の進路相談。
加「堺谷さぁ、志望校なんだけど、一校しか受けないの?滑り止めは受けなくていいわけ?みんな受けてるけど。」
私「うちは、私学の受験料は、自分の小遣いから出せって言われたので。京大以外は受けません。」
加「そっか。」
それ以外はちょろっと話しただけだと思います。
このように、淡々として言葉数も多くないのです(まあ、当時の私も「ガード・ガチガチ」だったと思います)
何ともかみ合いませんでしたが、「将来、何になりたいの?」という質問は、少し頭に残りました。
そして、滑り止めを受けないことに対して、あれこれ一切言われなかったこともほっとしました。
進学校なので、進学実績の関係から学校の事情としては受けることを薦めてくるだろうと思っていたからです。
とにかく、そのころは、受験勉強から逃れたくて、「大学入って、遊びまくるぞ~」っていうのがモチベーションでした。
そして、なんとか無事、進学。
「バイバ~イ、退屈な中学・高校時代~」
「お母さん、加トキチのファンやねん」
それで、時は流れて高校を卒業して10年後くらい経った頃だと思います。
実家に帰っていた時、ふとしたことから、中学・高校時代の話になり、加藤先生の話になりました。
すると、母が言うのです。
母「お母さん、加トキチのこと、大好きやで!」
私「はぁ? なんであんな×××××××××(自粛モードw)」
母「あんたな、高2の頃、ちょっとワルになりかかってたやろ。顔つき、変わってたからな」
私「そうかあ?」
母「お母さんな、何回か帰り道につけてたんやで。まあ、なんも悪さしてなかったけど。」
私「ホンマ?(危なかったぁ、たまたまやなw。というか、親がスパイ行動かっ!? )」
母「それで、加トキチにも相談しに行ってん。『先生、うちの子、あんなんでしょ。ホント、心配なんです~』って。」
私「うわ、かっこわるぅ。知らんかった」笑
母「そしたら、加藤先生はこう言うてん。
『お母さんがご心配なのはよくわかります。
堺谷君はちょっと危なっかしいところありますからね。
両脇がガケの細~いヘイの上を、遠くの方を見ながら、フラフラ~と。
足元を見てないので、いつ落ちるんかなと。
でも、彼は落ちそうで落ちないんです。
で、そのヘイの片側がいい方で、反対側が悪い方だとするでしょ。
彼はね、もし落ちたとしても、悪い方には絶対に落ちません。
大丈夫です。お母さん、安心してください。』って。
お母さん、それから加トキチの大ファンやねん。
他の人が何て言うても、お母さんはあの先生のこと、大好き」
私「…」
即座に、自分の部屋に行きました。そう、一人になるため。
「なんや、それ。直接しゃべったことなんて、そんなになかったのに…
実はさらっとしながら、ちゃんと見てくれてた?
と言うか、加トキチって、そんな長い話できるの?
なんで、大丈夫って言い切れたんやろ?
自分ひとりで乗り切ったと思っていたのに、見えないところで手を出してくれてたってこと。」
混乱した頭の中は「?マーク」だらけでした。
しばらくして、思いました
「そんな大人、おったんや」
「これが本物の教育や。本物って、あとから効いてくるんやな。空手の5年殺しの技みたいや」
バトンをつなぐ
私は先生とか苦手だった。
誉められるのは勉強だけ、それ以外には興味なさそう。別に持ってもらっても困るけど。まあ、いいけど。
恩師を持っている人の話を聞くと羨ましかったけど、ウソ臭いし、どこかで絵空事と思っていました。
母からこの話を聞いて初めて、心から尊敬できる教師を持つことができました。
で、そうやって振り返ってみてみると、「他にも結構ええ教師がいたかも」とか「結構ええ学校やったな」とか思えるから、いい加減なものです(笑)
(小学校時代で、未だに絶対に許せない教師もいますけどw 自分の戒めのためにも許してはいけないと思っていますので)
まあ、このことは加トキチには直接伝えていません。
それに、これだけ書いてしまったので、今後も伝えられそうにありません(笑)
そんなこと望んでいないと思いますし。
私は今、幼児教育に関わっています。子どもが主役のスクールを創りたい、そう思っています。
自分では教えてはいませんが、スクール運営者として強く思っています。
今、目に見えて、楽しい、役立つことは、それはそれで大切なのですが…
本当の教育って、
「(育ててやるという態度ではなく)頑張る子どもをそっと見守り、そっとサポートするもの」
「その場では目に見えなくても、ずっと後になって、シミジミ振り返るもの」
そう思います。
僕が加トキチにそうしていないように、誰も直接は伝えてくれないと思うのです。
でも、10年後に振り返って「あのスクールに行かせて良かったな」って思われたら最高だろうなと、そんな妄想をしています。
最後に。卒業してずいぶん時間が経ってしまいましたが、
「加藤先生、ありがとうございました。バトンを私なりにつないでいきたいと思っています」
<堺谷武志の略歴>
大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行を経て、キッズアイランド設立。保育士。一女の父。
現在「都会の子どもに『ソダチバ』を!」プロジェクト推進中
(プロフィール詳細はこちら)
著者・堺谷武志が運営するプリスクールは「キッズアイランド」はこちら
著者・堺谷武志の個人Facebookページはこちら
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