思うこと: わがままと言われて…
子供の頃、とっても困ったことがありました。
母親に「あんたはワガママやからから、気ィつけなアカンで」といつも言われていました。
小学校の通信簿には一貫して、
「自己中心的で協調性がない」といったことが書かれていました。
今の時代だとこんな表現だとクレームが来るのかもしれませんが、当時は表現もストレートでしたね(笑)
自分ではわからない
というわけで、どうも僕はワガママだったり自分勝手だったりするらしいのですが、
哀しいことに、自分ではそれがどういうことか分かりませんでした。
というのも、自分にとっての自分は、自分の感覚の中では常に「普通」にしているつもりなのです。
また悪気がある訳でもなく、自分の気の向くままに行動しているだけなのです。
おそらく生まれつきの性格と、11歳まで一人っ子だったという環境面から、自分勝手になったのでしょう(と、これも親が言っていました)
話はそれますが、私は後頭部が絶壁、かつ、ゆがんでいるのですが、
中学に入る頃まで、全員がこんな頭の形をしていると思い込んでいました。
多くの人がきれいな頭蓋骨をしていると気づいたとき、衝撃を受けたものです。
このように、全ての人にとって、自分の感覚は自分なりにとても「普通」なのではないかなと思うのです。
単に、人からの見られ方として、あるいは相対的なものとして、協調性があるとか、引っ込み思案といったものがあるのではないでしょうか。
そして、子どもの私は自分に素直に生きた結果、人から見るとわがままと言う判定をされたわけです。
ただ、わがままというのは、他の性格と違って、自分勝手は周りに迷惑をかけるのが問題となってきます。
幼くして一人ひとりがすでに個性的
プリスクールを経営してこれまで多くのお子さんを見てきました。
感じたのは、本当に人というのは個性的だな、そして、その個性というのは小さい頃からすでにバラエティに富んでいるな、ということでした。
誰を見ても笑顔で近づいていく子、シャイな子、
じぃーっと見てから動く子、何も考えずに突っ込んでいく子、
みんなと仲良くできる子、頑固な子、わがままな子…
子どもは2歳頃には、遊び方などで男女の性差も目に見えますし、
個性がきわだっていきます。
見ていると、ホントにそれぞれの個性が愛らしくて、にやけてしまいます。
自分に突き刺さるような面白い考察もありました。
男の子は、
・男女問わず、誰とでもすぐ仲良く過ごす子、と
・男の子同志で戦いごっこばっかりしている子、に
大きく分かれることです。
個人的には、
小学生時代はずっと男の子としか遊ばず、
中高は男子校で、大学も男子比率が9割以上だったので、
しょうがないかと思っていたのですが、
実は、女の子と自然に仲良くできる(モテる?)資質は、
2才のころから道が別れていたのかぁ、とガックリきたものです(笑)
もちろん、性格や振舞いはその後の成長や発達でどんどん変わっていく部分も大きいと思いますが…
変えられないもの、変えられるもの
話が戻って、自分勝手な性格の話ですが、やはり周りに迷惑をかけることが多いので、
怒られたり、嫌われたり、自分が情けなくなったり、色々とありました。
小学校の「終わりの会(今でもあるのでしょうか?)」では、しょっちゅう「今日の悪かったこと」でつるし上げられた記憶があります。
やっぱり性格を変えなきゃと頑張ってみたこともあります。
ただ、その頑張りは自分の自然さに無理を強いることでもあるので、
自己嫌悪に陥ったり、煮詰まったりして終わります(怠け者でもあるので)
結果としては、性格なんてものは簡単には変わりませんでした。
自分の好きなように思うようにしたい、できれば周りの人にもそうしてほしい、という気持ちは抑えきれません。
ですので、僕は協調性という資質を欠落したまま生きていくしかないのかなぁ、とボヤっと思ったものです。
しかし、社会人になったあとの研修で、ハッとするひと言に出会いました。
- 人は、性格は変えられない
- でも、行動は変えることができる
私は、性格を変える必要がないということをオフィシャルに言ってもらった気がして、
とてもホッとすると同時に、
「そっか、気になっている行動面に絞って、変えていけばいいのか」と、道が開けたような気がしました。
いいように解釈する(わがまま≒こだわり)
ある意味では、わがままというのは、いいように言えば、「こだわりが強い」ということもできます。
なんとしてもそうしていきたい、実現したいという意欲にもつながります。
現場経験のあと、銀行でプロジェクト企画を主に担当させてもらったときは、
この性格がうまく生きたような気がしました。
もう一つ良いように解釈すると、
私は、他の人の性格については基本的には受入れようと考えていることです。
生まれもった性格を責められるような気がすることが多かったので、人を否定するようなことはあまりしないでおこうと。
人のためというより、そうしないと自分も否定しないといけなくなるからです。
ある種の自己防衛的な反応なんだと思います。
ただ、この考えがスクールでも
「一人一人の子供は、どんな性格であろうと認められ、受け入れられるべきだ」
「教え手の都合ではなく、生徒が主役のスクールであるべきだ」
という方針につながってきたことは確かだと思います。
頑張りやぁ~
そして、スクールでも時折「いわゆる ワガママな子」を見かけます。
(ほとんどの子は、私の幼い頃に比べるとかわいいワガママです)
「その性格だと、人生のどこかで苦労するんやろなぁ。
でも、頑張りや、ええこともあるで。ほんで、僕は味方やで~」
と心の中でつぶやきます。
(心のつぶやきはいつも関西弁だったりします)
そして、実はこの言葉はどんな性格の子どもにも通じることだと思っています。
苦手なことに引け目を感じていても仕方がないのですね。
見る角度によっても異なりますし。
なので、もって生まれた性格を、やりくりしながら、意味のあるように生かしていくことが大切だと思います。
保護者、そして子どもの成長に関わる仕事をする人は、その一人ひとりの応援団ということなのでしょう。
PS:
私の性格は結局大きくは変わらず、今でもワガママだと思います。
キッズアイランドは、いわば私のワガママの塊です(笑)
スクールは公園の近くじゃないとヤダ、
子どもが主役のスクールじゃなきゃヤダ、
プランはしっかりと立てて全て文書などに落ちていなきゃヤダ、
サマースクールは、東京一番と自負できるものでなきゃヤダ、
などと言っては、今日も仲間を困らせています。ごめんなさい。
もし違う性格の人がプリスクールを経営したら、全く別のものになるでしょう。
私は、たくさんの選択肢があることが豊かな社会の象徴だと考えていて、
そういう意味では
私のような人間がワガママを通しながら、
今のところなんとかスクールを続けていられるのは、豊かな社会なのかなと感じています。
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