書感:ボクってナチュラル・アドラー系?


今さらながらですが、ベストセラー「嫌われる勇気(岸見一郎、古賀史健、2013年)」を読みました。

 

アドラー流の考え方が紹介されているわけですが、読んでいて、気味が悪いくらいでした(笑)

・この考え方は、私がずっと考えてきたことにそっくりだ。

・ああ、アドラーも(そしてこの本の著者も)、人間関係で苦労したんだろうな(笑)

・そっか、私は大きく外していなかったんだ。よかった。

名前は聞いたことがあったのですが、アドラーに関する本はこれまで読んだことがありませんでした。

先日「勇気づけ学園」創設者の原田さんとお話しをして、奥様がアドラー専門家ということで「アドラー式子育て(武田綾子、2017年)」を読んでみることに。

マンガで事例が紹介されていたりして、とても読みやすくヒントの多い本です。

子育て中の保護者や教育関係はお読みになることをお勧めします。

面白かったので、ちょっと深堀してみようかと以下を併せて読みました。

嫌われる勇気(岸見一郎、古賀史健、2013年)

生きるために大切なこと(アドラー、2016年、原著1928年)

アドラー心理学のススメ(向後千春、2016年)

ここでは、嫌われる勇気でのアドラーの考えとともに、私が今まで感じてきたことなどを併せてつづりたいと思います。

私のアドラーに対する認識はまだ底が浅いですが、そこはご容赦ください。

アドラーの考え(1):課題の分離~自分は自分、他人は他人。他人の思惑から逃れることで自由になれる。

小学時代にクラスメイトに仲間外れにされたり、教師からも好かれなかったりして、自分の性格について悩んだことがあります。

自己防衛本能が働いた結果でしょう、「悪いのは相手だ」という考えるようになりました。

自らはすり寄りませんでしたし、親にも(もちろん教師にも)相談はしませんでした。

 

一方で「自分って好かれないタイプの人間なんだな」という劣等感もあるし、仲良くもしたいのです。

どうしたらいいものかと子どもながらに考え、一つのことに気づきました。

人は笑いながら無視することはできないことに。

それから、話には常にオチをつけ面白い話をするようにしました(笑)これは効果てき面でした。

 

おもねることなく、良くも悪くも「自分は自分」と開き直ることを覚えました。

そして、干渉はされたくも、したくもないと、人とは一定の距離を取ることを覚えたと思います。

 

アメリカに行って、日本人の距離感(親切だけど、余計なお世話も多い)との違いも感じました。

シンガポール駐在やアジアビジネスなど海外の人と仕事をする時などは、一定の距離を保ちながらも、ユーモアを忘れずにそれなりに良い関係が気づけたと思います。

 

いつの頃からか、人生の早い時期に「人は人、自分は自分」と考えることができてありがたかったな、と思えるようになりました。

そして、その時の「たけし少年」よく頑張ったねとも(笑)

アドラーの考え(2)横の関係:すべての対人関係を縦ではなく、横でとらえる。誉めるさえ「上から目線」。他者からの承認は不要。

横の関係、これもとても強く共感するところです。

またもや、ひねくれものの論理ですが…

理不尽な目上の人たちには敏感に反応して「こんなヤツらは、上でもなんでもない」と強く思いました。

今でも思うのですが「立場を笠に着る人間にろくなヤツはいない」「個人で勝負しろ」と思います。

 

自分にしてくれた親切に感謝を要求されると、恩着せがましく感じて、それならそんな親切は要らないと思います。

アメリカ人の教授に「教えないよ。君たちが学ぶのをサポートするだけ」と言われて、「あっ、この感じが良い」と思いました。

こんなこと、日本で言ったら無責任と言われそうですが(笑)

 

誉められると「あんた、そんなに偉いの?」と素直になれず、同様に誉めることも苦手です。

誉めるのが苦手なので「誉めて伸ばす」的な考え方がどうもしっくりきませんでした。

なんとなく「とにかく誉めてりゃいいんだよ」的に聞こえてしまって、相手に失礼じゃないかと思うのです。

 

そんなこんなで、人から誉められたり、認められることを目標にすることは早い段階でやめました。そういう自分を卑屈に感じるからです。

どう自分で自分が納得できるかに焦点を当てるようにしました。その上で、自分の好きな人に認められることはうれしいとは感じます。

 

私が好きな人は、人に対して偉そうにしませんし、恩着せがましくありません。

親切ですけど、おもねることはありません。自分を持っていて、自分の考えで動きます。

周りにフラフラ影響されない自我の確立した人、例え意見が合わなくても、こういう人は信頼できます。

そういう優しくて信頼できる人たちからの無償の親切には本当に私は恵まれていて、自分も違う形で世の中にお返ししたいなと思ってきました(器がなかなかついてきていないのは仕方がないけどw)

 

今回、アドラーの「横の関係」の考え方に触れて、「そだね~」ととてもしっくりときました

アドラーの考え(3):他者への貢献が幸せへの道

他者への貢献が自分の幸せ。

これも本当にそうだろうなと思います。難しくてなかなか実践はできませんが。

 

中学時代に習ったことわざ、Happiness consists in contentment.(幸せは満足にあり)が記憶に残っています。

そう、consist of と consist in の違いを覚える時に出てくる文です(笑)

では、そのcontentmentはどうすれば得られるのか?ずっと考えてきました。

 

一時期、世界の歴史、哲学、宗教の本を読んだりしました。

そして、気づいたこと。良質な哲学や宗教には共通する一つの考え方がありそうだということ。

「人のために尽くすことが大切。それが自分の幸せにつながる。」

これはおそらくはかなり真実をついているのではないかと私には思えました。

 

私のようにわがままでも、やはり人や社会の役に立ちたいという気持ちはあります。

一方で、人のためにやってあげているという感覚ほど、独善的なことはないと思います。

 

色々な本を読んで考えるうちに、

「そっか、自分のできる範囲で、自分で勝手に人のためになることをすればいいのか、と。そしたらContentmentが生まれそう。」

「ただし、自己満足のためにやっているので、相手への配慮は忘れないようにしよう。」

 

当たり前ですが、実際にはこんなところまでたどり着けてはいません。

「他への貢献が、自分(勝手)の幸せ」

そうあれればいいなと思っていることは確かです。

 

アドラーの考え(4)勇気づけが大切~無条件で信頼すること、勇気づけること

ここはアドラーの考え方の中でも、私が十分にはできていないところだなと感じました。

自分の中で、誉めると勇気づけがうまく整理されていなかったからだと思います。

 

プライベートでは、ごく一部の好きな人間は、無条件で信頼しますし、勇気づけのようなこともできているのかなと思います。

 

また、キッズアイランドもこの発想に近いところがあります

・子どもには、自ら成長する力が備わっている

・その力が存分に伸びる「場」と「機会」を提供する

「教える・育てる」という上から目線はありません。

環境作りに徹して、そこからそれぞれの子どもが経験を持って帰るイメージです。

 

一方で、会社の仲間に対して、勇気づけのようなことをしたいと思ってきたのですが、これが難しい。

私はいまだ人付き合いのスキルがとても低いのです、残念ながら。

 

私の考えの根本は「私は自分のやりたいようにやる。あなたにもそうしてほしい。それが自由というもの」

人に対しても「自分のモチベーションは自分で上げてね、あなたの人生でしょ」という発想になってしまう。

これが人によっては温かみに欠けると感じるのかなと思っているのです。

 

この辺りは経営者的な立場からの振舞いは難しいなと感じています。

時に要求水準が高すぎたり、逆に甘かったり、どうも適度な対応が不十分な気がしています。

 

その点、ウチの今のスクール・マネジャーは素晴らしい。共感・応援をしながらモチベーションを上げるのが上手です。

自分がいかに未熟か痛感させられますし、彼から学びたいと今必死になっています。

 

ただ、この勇気づけ、全ての人に対して到底できる気がしません。私は、そこまで器がデカくない。

忙しい時にセールスの電話をかけてくる人間に、勇気づけはできないのです。

「ネットで集客?なら、あなたも電話をしてこずにネットで集めたらどうですか?」と、嫌味がつい口から出てしまったりします(笑)。

若手で頑張っているだろうに、優しく断ってあげられなくてごめんなさいネ。悪いのはあなたじゃない。

アドラーの教え(5):人は変われる、人はみな仲間である

ここについては、私は半分くらいしか同意できません。

 

まず、生きるということは複雑で、論理や言葉だけで割り切れないということ。

人には個人差もあるし、変われるといっても程度問題だということ。などを感じます。

 

あとやっぱりみんなは仲間とまでは思えません

やっぱり(本人のせいであるかどうかは別として)本当に悪いヤツはいます。そこには申しわけないけど、付き合えないし、何か自分にできるとも思えません。

だけど、世の中にはいいヤツもいる、だからボクも頑張れるんだと。私にはこのあたりが精一杯です。

 

それと、そもそも、一つの考え方や方法論がすべての人に対して万能薬になるととらえると見誤るかなと思っています。

そんな安易なものはこの世に存在しない。実際に、暴力や戦争も存在します。

 

人は自分の人生を自分の頭で考えながら生きていくしかない、どんな偉人の考えや生き方も参考程度でしかない、私はそう思います。

これが自立し、主体的に生き、そして、主体的に学ぶ意義かと思います(無理やり教育論に結び付けちゃったぜw)

本日の結論:アドラーも人間関係で苦労した?

読んでいて思ったのは、アドラーさんも人間関係で苦労したんでしょうね、ということ。

 

世の中には、人懐こい人、ナチュラルに好かれる人、器の広い人がいます。

こういう人は、アドラー心理学のように面倒くさい理屈を考える必要がないと思うのです。自然体で人間関係を楽しめちゃう。

 

人間関係を理屈で整理している時点で、対人関係に恵まれていなかったのだろうなと推測します。

これって、理屈抜きで好かれる人にはわからない感覚だと思いますが。

あるいは、研究者として、患者の気持ちを紐解いていった結果たどりついたのかもしれませんが、それはそれでものすごい執念の持ち主。隣にいると少しToo much感あり?

 

盲目的になってしまわないように、偉人も「隣のおっさん」くらいに思うようにしていますが、

今回私はアドラーさんに、なんとなく親近感を感じることができてよかったと思います(笑)

 

今回、アドラー系の本を読んで、自分の考え方が人として大きく外れていなかったかなと励まされた気になりました。

特に、自分は自分と割切る、横の関係で生きること、共同体との調和、など個人としての考え方の部分です。

 

私の考え方は少なからずスクール理念に反映されていて、アドラー的な発想も含まれていることに気づきした。

また、直接・間接的に尊敬しうる教育関係者がアドラーの考えを取り入れたりしているのを知っていますので、ほっとしました。

 

仕事面を含め、人との交流で「勇気づけ」を少しずつできるようになりたいという新たな目標もできましたし、読んでよかったと思いました。

 

 

メモ:アドラーの目標(備忘録として)

行動面の目標

  • 自立すること
  • 社会と調和して暮らせること

心理面の目標

  • わたしには能力があるという意識
  • 人々はわたしの仲間であるという意識

 

<堺谷武志の略歴>

大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行を経て、キッズアイランド設立。保育士。一女の父。週末登山家。

現在「都会の子どもに『ソダチバ』を!」プロジェクト推進中
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