思うこと:学ぶに遅すぎることは絶対にない
少し前の話になります。
赤坂あたりで友人と盛り上がって終電がなくなりました。
それで、上機嫌のままタクシーに乗り込みました。
――― すみません、○○までお願いします。
「はい」
10分ほど軽い会話を交わした後…
私の上品な言葉遣い(笑)のどこかに、関西の風味を感じたのでしょう。
おじいさんの運転手さんが話しかけてきます。
タ「お客さん、関西の方ですか?」
私「ええ、そうですけど」
タ「私もですねん」
この後、急速にお互いに関西弁丸出しに(笑)。
タ「お客さんは、大学出てはるんですか?」
私「はい、まあ」
タ「失礼ですけど、どちらですか?」
私「京都大学です」
タ「京大ですか、すごいですね。お客さん、頭いいんですね。」
私「そんなことないですけどね。それに、遊んでばっかりで留年してしまいまして」
タ「そうですか、京大ですか。私ね、京都の北の方にある海沿いの村の出身ですねん。」
その後、運転手さんは、これを皮切りに色々な話をしてくれました。
同郷では、あの野村監督と同郷で、昔からカッちゃんが打ったら球がよく飛んだこと。
中学を卒業してすぐに、大阪の道修町(どしょうまち)で薬問屋の丁稚になったこと。
大八車を引っ張って薬を届けたこと、雨が降ると道がぬかるんで動かなくなって大変だったこと。
タ「でね、お客さん、休みの日なんかは、あちこち遊びに行くんです。
ほんで、京大にも何回か行きました。大学のあの雰囲気が好きでね。学生さんたちがかっこようて。」
「食堂なんかに行くと、学生さんが『ボン、どっから来たんや』っちゅうて優しゅうしてくれるんです。『なんぞ食え』言うて、ごはんおごってくれるんですわ。
あぁ、ほんまかっこよかったんですわ。せやから、京大が大好きですねん。」
私「あぁ、そうなんですか。なるほどねぇ」
(しばらく沈黙)
タ「お客さん。お客さんやったら、頭エエからわかると思うんですけど…
教えてほしいんですけど。」
私「ええ、なんでしょ。わかることなら。」
タ「私ね、この間、通信制の高校をやっと卒業しましてん。結構時間かかりましたけど、嬉しかったわ。」
私「そうなんですか。それはおめでとうございます。良かったですね。」
タ「それでね、将来いつか大学行きたいとおもてますねん。おかしいでっしゃろ?」
私「…」
タ「高校で、通信制もよかったんですけど、やっぱり学校ゆうたら、実際に通っていろんな人に会いたいなと思いまして。それで、大学は学校に通ってみたいんですわ。
それでお客さん、私もうエエ年ですやろ。」
私「…」
タ「お客さん京大で、頭ええからわかると思うんですわ。
それで、教えてほしいんですけど、大学行くのって、今からやと遅すぎますやろか?」
私、せいいっぱいこらえて言いました。
「なんでも、遅すぎるとかないと思いますよ。
ぜひ、行ってください。同級生になる若い人にとっても勉強になると思います。」
そしたら、こうおっしゃるのです。
タ「あぁ、良かった。行ってもいいんですね。お客さんにそうゆうてもらえて、安心しましたわ。
すぐというわけにも行かへんのですわ。もうちょっと稼がんとあかんので。
そのあと、行きたいな。ええ歳ですけど、行けたらええなと思いますわ。」
(沈黙)
しばらくして、タクシーを下りました。同時に、こらえていた涙があふれてきました。
正直申し上げますと、途中からほとんどこらえきれていませんでしたけど。
「あ~あ、俺も頑張らんとアカンなぁ」
PS: 学びについて考えるとき、あのおじいさんの声が浮かびます。
・時代のせいで学校に行けなかった人がいるんです。実は、それはそんな昔話ではないのですね。
・学びというのは、人間の根源的な欲求の一つなのですね。
・学ぶことだけではなく、人が何かを始めるのに遅すぎるということはない、ということだと思います。
・そして、本当にやりたいことは、今できなくても、ずっとずっと心に持ち続けることですね。
要は、年齢は関係ない。年齢は言い訳にならない。若くても、歳をくっていても。
そう「やるか、やらんか」どっちかしかない。
そして、それを決めるのは自分だということ。
<堺谷武志の略歴>
大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行を経て、キッズアイランド設立。保育士。一女の父。
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