思うこと:「運」の話


 

思えばどれだけこの言葉に励まされてきたことでしょう。

「タケシは運がええなぁ。」

子供の時、何かいいことがあった時に、父親からよく言われた言葉です。

たいしたことではなくても言われていました。

 

例えば、干支の丙午(ひのえうま)の年に生まれたことさえ、運がいいと言っていました。

(それだと、同年代の全員が運がいいことになってしまいますよね)

 

ただ、繰り返し言われるとその気になってしまうから不思議です。

「僕は運がいい人間なんだ」

いつの間にか、自分のことをそう感じるようになっていました。

 

思い出すたびに、力が湧いてきます。

ささいな話ですが、なにかあるとき、例えば、試験や試合などの時は呪文のように唱えます。

 

銀行を辞めて起業をする時も最後、自分に言い聞かせるように唱えました。

「僕は運がいい人間だから。最後は何とかなる」

 

全くもって、根拠なしです。

ホントのところ、うまくいくかどうかなんて誰にもわからないですからね。

実際、今も決定的な失敗にいたっていないだけで、どうなるか見えませんし…

 

それでも、誰の人生にも勝負所のような局面があって、その時に

「なにかわからないけど、イケそうな気がする」と思うのと

「どうなんだろう。失敗したらどうしよう」と思うのでは、

やっぱりなんとなく前者の方がトータルで考えて「良い決断」ができそうな気がします。

 

根拠のない自信

 

そしてまた、行き詰ったり、どん底だったりする時も、そこから這い上がれるのは

根拠のない自信だけが支えだったりします。

 

根拠のない自信の大切さについて述べている人はよく見かけます。

 

煮詰まった局面では、なまじっか根拠があると、

その根拠がこけたらもっと悲惨になりますから、根拠がない方がいいということなのだと私は理解しています。

土壇場で自分を信じる力のようなものでしょうか。

 

「運がいいから」というのは、これが根拠になるのか、ならないのかよくわかりませんが、

こと「運がいい」ことに関しては、根拠のない自信はあります。

 

 

上手くいったときに、何と言うかも大切かも。

成功した経営者や記録を達成したスポーツ選手などが、

「周りのおかげです。運がよかったです」と言ったりするのを聞いたり、読んだりします。

 

うまく言えないですが、そういうことなんだろうなと思います。

 

上手くいったときには「運がよかった」と言い、

上手くいかなかったら「自分に責任がある」と考える人。

 

上手くいったときに「俺がすごいからだ」と言い、

上手くいかなかったら「〇〇のせいだ(〇〇にはアイツとか、景気とかが入る)」と考える人。

 

この両者を比べたら、人としての品性がきっと違います。

そうなると、やっぱり必然的にめぐってくるものが違うんだろうな、そう思います。

 

 

謙虚、運、自信

 

上手くいったときに「運がよかった」という謙虚さ、持ちたいものです。

 

謙虚さが運を引き寄せるのかもしれません。

 

ただ、裏読みすると

「その運を引き寄せたのは自分だ」とも言っているようで、

心の中は自分への自信に満ちているのかもしれません。

もしかしたら、傲慢?

 

自信、謙虚、運…

どこがスタートで、どう絡んでいるのかよくわかりませんが、味方につけた方がよさそうです。

 

そう意味では、非常に根拠があいまいながらも

「自分は運がいい人間だ」と思いこませてもらったことはラッキーだったのだと思います。

 

 

PS:

親もそうですが、先輩や友人など関わった人のひと言がずっと残っていることがあります。

ある意味、大きな財産というかギフトのようなものですね。

その人に直接お返しできなくても、周りの人たち、次世代の人たちに、言葉とか気持ちとか順番で伝えていけるといいですね。






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