ハンド・リガードの思い出


ハンド・リガード(手の発見)

娘がまだ赤ちゃんだった頃に想いを馳せる時、

最も印象的だったことの一つはハンド・リガードです。

 

ハンド・リガードとは、赤ちゃんがじっと自分の手を動かしたりしながら見つめること。

私はこれを勝手に「手の発見」と名付けました。

 

始めは目も見えず無防備に寝転んでいるだけだった赤ちゃんが、

親の保護を得ながら本能で生を手繰り寄せていく。

これが、私には興味深くて仕方がなかった。

 

娘にはやや申し訳ないが、本を読んでは色々と科学実験させてもらいました(笑)。

原始反射は面白かったなぁ。

口に指をあてると吸い付くとか、手のひらに指をあてるとぎゅっと握るとか。

「おぉ~、ホンマや」

モロー反射や、バビンスキー反応とか試して

「すごーい」とそのたびに感動したものです

 

そして、ある日、赤ちゃんは気づくのだ。手に。

「あっ、これなんやぁ、初めて見たわ」

「こいつ(手)は使えるんちゃうか」

じっと見つめたり、動かしたり、しゃぶったり…

 

こちらとしては「えっ、知らんかったん?」みたいな感じでもあるのですが、

赤ちゃんというのは、手さえも「発見」していくのだと実感して、

「必死に育とうとしている」んだと。

その姿は本当に神々しかったことを思い出します。

 

「器用な手と指」は人類特有のものらしい

話がそれますが、手と指がこれだけ器用なのは、人類に特有のことらしいです。

小さな針の穴に糸を通したり、滑らかさを感じたり…

そして、絶妙の力加減で鼻くそをほじくるとか(笑)

これだけは絶対に機械に任せたくないですね。

 

その代償が脳梗塞で、つまりやすいのは手をつかさどるために発達した血管網だと、

ずいぶん前のNHKスペシャルだかでやっていた記憶があります。

さもありなん、です。

 

ハンド・リガードの後、赤ちゃんは、二足歩行や言葉を獲得していく。

いずれも人ならではの特質を、発見し、工夫し、獲得していくわけです。

 

こう考えると、この一連のプロセス(=学び)は、人間の本能であり、内臓されていて、根源的な欲求のような気がします。

子どもは「成長する力」を生まれつき備えている、それが育つような環境を提供しよう、という考えでずっとスクールを運営してきました。

私にとって「備わっている成長する力」の象徴はハンド・リガードで、それは娘が教えてくれました。

(少し飛躍するけど「大人もそうだ、自分のやりたいことを一所懸命やらなくちゃ」ということにつながります。今日は省略)

なぜ今日こんなことを書いたのか?

このブログは今日中に書きたかった。

なぜか、それは、親バカだからです(笑)

 

今日は娘の17歳の誕生日。

バトン部の活動は、先週末の文化祭の発表でちょっと早めの引退となった。

 

満足行く配役ではなかったものの、不平を言わずベストを尽くしたこと。

仲間の活躍を素直に喜べたこと。

幼稚園からの新体操、中高のバトン部とダンス系で13年間、1つのことに夢中になってきた。

地道な積み重ねで、スキルも表現力もとても上がった。

 

そして「手」

全てのバトン投げ技をノーミスで受止めることができたね。

 

振り返れば…

生きようとすることのすばらしさを教えてくれたハンド・リガード

よちよち歩きの時に差し伸べてきた手

遊びに行く時、ずっと一緒につないできた小さな手

今はもうつながせてもらえない大きくなった手(笑・涙)

 

一般的に、2・3歳が一番かわいいころと言われるが、自分の子どもはいつまで経ってもかわいい。

色々と大切なことを教えてくれてありがとう。

成長は、嬉しいけど、切ないぜ。

 

人生にとって大切なもの、その手でしっかりとつかんでください。

時に、考えを押しつけちゃいそうになるけど、実際に押しつけちゃったりもしてしまうけど、

口ほどには自分がちゃんとできていないけど、いろんなことダメだけど。

 

いつでも味方です。

You’re sixteen, going on seventeen.

Happy Birthday!






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