シリーズ「教育への情熱」:民間STEM教育の先駆者 中村一彰さん


STEM教育(Science, Technology, Engineering and Mathematics)の重要性は世界各国で語られています。

今回ご紹介する中村一彰(なかむらかずあき)さんが率いるViling(ヴィリング)では、小学生向けSTEM教育プログラム「STEMON」の普及に力を注いでいます。

現在、日本でも様々なSTEM教育がローンチされていますが、STEMONではEngineeringに焦点を当て、「新しい概念を創造する学び」を推進しています。

実は中村さん、「教育ベンチャー」CEOでありながら、同時に、小学校の理科教諭(非常勤)でもあるのです。

将来の日本の教育に貢献すべく奔走する姿は、まさしくSTEM教育をけん引するForerunner(先駆者)と言えます。

 ヴィリング・中村さん:CEOであり、小学校教師でもある。

【シリーズ「教育への情熱」とは?】

「自らを教育に捧げる人の話を聞きたい」という一念(野次馬根性とも言う)で、企画したこのシリーズ。その情熱や行動力を心からリスペクトし、私の憧れだったシュリーマンの自伝「古代への情熱」を模してタイトルをつけました。題して、「教育への情熱」。お楽しみください。

 

中村さんですが、元サッカー部だったのが関係しているのかいないのか、ルックスもスタイルもスラっとしています。

泥臭さとは無縁で、口調は穏やか、カジュアルに論理的に話をしてくださいました。

でも、この爽やかな見た目に引きずられてはいけませんよ。ハートの中は熱い、熱いっ!

 

サッカー一筋17年

中村さんは、幼稚園の頃からサッカーを始め、名門帝京サッカー部に入りました。

同級生や後輩にプロや日本代表を輩出する一方、100人入部しても3年生までに9割弱が脱落というハードな世界だったそうです。

 

――そんなハードな世界、辞めようとは思わなかったのですか?

サッカーのためだけに帝京に来たので、辞めようとは思いませんでした。

振り返ると、社会の縮図みたいなところでした。一部のスター選手のために、その他部員も含めて多くの人が時間とお金をつぎ込む仕組み。

抑圧や理不尽さも日常茶飯事でした。

 

帝京サッカーから学んだこと①:ストレスを受けとめつつ動くこと

自分としてはストレス耐性が強いと思います。すぐに白黒つけたい人っていますよね。でも、私は違います。

複雑で不安定な状態で、それを体の中に留めながら自分と周りを動かしていく、のは向いていたと思います。

すぐに楽になりたがらないというか、この「ストレス状態をためながら動く」というのは経営にも通じると思います

 

帝京サッカーから学んだこと②:本気で思い込むということ

僕は、技術・スキルでは結構うまかったと思うのです。

一つ上の学年に、元気いっぱいで、みんなの人気者の先輩がいました。

その先輩がずっと「プロになる」といつも言っていました。そのために必要なことは何でもする。キーパーソンに気に入られるなども含めて、いつも本気。

それで、最後は、本当にプロになっちゃったんです。

当時の自分にはその気持ちがなかった。本気で思いこむというのは大切なんだなと思いました。

――大学でもサッカーですか?

サッカー部では1年生の時は態度が悪くて、ほとんどの先輩から嫌われていました(笑)

帝京出身だとやっぱりそれなりですし、練習さぼったり、真面目にやらなかったりでした。それであることがありまして…

 

大学サッカーから学んだこと:はずしたゴール

1年生の時の最終戦、その試合に引き分ければ県で1位になれる状況だったのです。

でも、スタメンをはずれ、そして途中出場。

ロスタイムのコーナーキック、僕を一番嫌っていた先輩が「俺が引きつけるから、お前が決めろ」と。

本当にボールが来て、それをはずしました。あの瞬間は今でも忘れられません。

―――それは、結構厳しいですね。

それからは、心を入れ替えました(笑)。

個人としては埼玉県代表や北関東選抜にも選ばれ、4年生の時は部長をしました。

顧問の先生もいなかったので、練習メニューから選手起用から全てやりました。

みんなで目標にしていた埼玉県大会で16年ぶりの優勝。

本当に最後はよかったなと思います。

 

ビジネス・パーソンとしての飛躍

こうしてサッカー三昧だった中村さん。お伝えするのを忘れていました(?)が、実は教育学部だったのです。

でも、中村さんは教師にはなりませんでした。

教育実習の際に受けた「学校や職員室の閉塞感」、あるいは「画一的な集団を作る意図を感じる授業のあり方」に抵抗を覚えたからだそうです。

(会社員時代)

そして、中村さんは一般の事業会社に入ります。

  • マンション開発の会社で4年間営業
  • エス・エム・エス(SMS)に転職。

SMSはベンチャー企業で急激に業績を伸ばし、現在では時価総額1千億円を大きく超える上場企業になっているそうです。

(SMS、上場!)

―――会社員時代はどうでしたか?

 

特に、SMSでは新規事業開発で、チームを組んで、ウェブサイトのコンセプトからローンチまで全て自分で立ち上げるという経験をしました。

また、人材育成の仕事を手掛けるなど、ビジネス・パーソンとして大きく成長する機会をもらいました。

 

自分の強みとして「不確定なことをTrial & Errorをしながら、スピード感をもって回していく」ことが認識でき、そして「多少のことは踏み出せそうだ」という自信が持てました。

 

起業しかない! と、やることを決めずに退職

中村さんは、自分の中には「チャレンジし続けなきゃ」という気持ちが「デフォルト」としてあると言います。

そして、次のチャレンジは「起業」と決めました。

ただ、最終決断まで3年間迷ったそうです。

大震災を機に、「一度も起業しなかったら後悔する」「失敗してもどうにかなるだろう」と、踏み出したそうです。

結果的に、辞めることが先行しました。

2012年10月起業。妻一人、子ども二人。

 

「生涯をかけてコミットできること=教育」が自然な形で浮かんできた。

実は、当初は教育以外での事業を考えていた中村さん。

(一人悶々と事業プランをひねり出す日々)

いかにもベンチャー出身らしく、「大きなマーケット」で「改善が遅れているマーケット」に目をつけて検討したそうです。

その結果、農業ビジネス、WEBマーケティング事業、中古住宅マーケット、始め10ものプランを考えだしました。

どれもなんとか立ち上げられそう。ただ、どうしてもパッションが湧いてこないのです。

自分が関わってきたなじみのあるビジネスは、マッチングが根幹です。世の中に必要ではあるのですが、自分には「コンテンツ側になる」というのが、性格的にも、長期的なビジネスの観点でもしっくりくる感じがしました。

自分の中で「生涯をかけてコミットできるもの」に絞って考えた結果、やりたいこととしてとても自然な形で「教育」が浮かんできました

迷走、迷走!

中村さんの次の課題は、「では、教育分野で具体的に何をやるのか」でした。

本質的なこと・普遍的なことをやりたいと考え、教育に関するインプットを徹底して行います。

ひたすら書籍を読み、施設を見学して模索する中、「探究型学習」と出会いました。国際バカロレアスタイルで取り組んでいる2つのスクールでした。

そこから、教育心理学の第一人者でもある法政大学の藤田教授を口説いて、共同プロジェクトをするまでに漕ぎつけたのはさすがです。

共同プロジェクト(右端が中村さん)

「探究型アフタースクール」の募集結果、応募0名

習い事の探究型アフタースクールのプログラムを作り、集客を行いましたが、なんと応募はゼロ名。

とはいえ、教授との共同プロジェクトでもありサマースクールだけは開催することにしました。

(共同プロジェクトの探究型サマースクールにて)

4日間でエンジニアや番組プロデューサーなど4つの職種を体験できるという渾身のプログラムでしたが、気づいたことがいくつかありました。

  • 「短い単発だと学びにつながりにくい」
  • 「集客単価が高く、事業として成立しない」
  • 「探究型というのは、当時のユーザーにとってわかりにくいコンセプトだった」

要するに、探究型アフタースクールプログラム単体では事業化が困難だということだけがわかりました。

それにしても、通常プログラムの応募ゼロはしびれますね~。うまく行ったサマースクールも事業化にはつながらないことが証明された形になりました。

インタビューしている私までドキドキです。

 

次のモデル模索中にチームが崩壊寸前に

早急に次の領域を模索するために、インターン3名と経営パートナーと共にリサーチを始めたそうです。

受験、ピアノ教室、勉強カフェ、STEM教育、学童保育、などいくつかの領域を検討しました。

  • 分担してリサーチをしたのですが、報告を聞いても事業の良しあしの判断は簡単につくものではありません。私としては、自分の中にためていって熟するのを待っていたつもりでした。
  • その待つプロセスの中で、チームが崩壊していきました。
  • メンバーからすると、リーダーとして方向性を明確に示せていなかったのが原因だったと思います。

それからは徹底した話し合いを通して、理念を共有し、信頼関係を築くことを意識したそうで、今では強いチームになっていると、うれしそうに話してくれました。

1年半かけてようやく固まったコンセプト

複数の候補の中から「ニーズが顕在化している事業」をメインとし、事業性と理念がマッチした「学童保育」を選択することにしました。

そして、無料で「Davinci(STEM教育 ※現STEMON)」と「BOKEN(体験型教育)」を提供することを特徴としました。

起業から、ここにたどり着くまで1年半かかっています。

スケールの大きな絵を描くためには必要な期間だったのだろうと思います。

(学童保育設立に向け、急ピッチで準備を進める)

但し、おわかりですか、皆さん?

1年半、人をかかえて給料を払いながら、ほぼ安定収入はないと言っていい状態なのです。

その代償の大きさを考えると、ちょっと(?)、いや、かなり無茶な人です(笑)

(学童保育の仲間と)

今なら約2億円のストックオプションを突っ込んじゃった(笑)

―――資金繰りには苦労されたんじゃないですか?

2014年4月から学童保育のスイッチ・スクールを始めましたが、会社として単月黒字化したのは2017年4月になってからなのです。

それまでの間、資金繰りにはとても苦労しました。月100万円の赤字がずっと続きました。

資本金、借入金はもちろんのこと、前職のストップオプション、最後の砦として取っておいた家族用の預金、ほぼ全てつぎ込みました。それでも残高はずっとスレスレでした。

(STEM教育の様子。笑顔と真剣な顔がステキ!)

―――よくしのぎましたね

そうですね、よくしのげたと思います。

―――ストックオプション、突っ込んじゃいましたか

そうなんです。キープしていたら、2億円近い価値になっています(笑)。ちょっともったいないことしたな、と。冗談ですけど(笑)

―――やっちゃいましたね(笑)

やっちゃいましたぁ(爆笑)

 

STEM教育との出会い

STEM教育との出会いは、意外にも「レゴ」、そうあのオモチャのレゴだったそうです。

―――STEM教育はどのような形で始められたのですか?

・対象となる教育をリサーチしている中で、レゴSerious Playのトレーナーの資格を取りました。

「コンストラクショニズム(作ることで学ぶ)」のコンセプトでやっているマジメな研修なのです。

・企業研修でレゴを教えて、そのお金を学童保育に回していたこともあります。

(STEMコンテンツ開発者の石原さんとの出会いが大きな分岐点となった)

この過程でSTEMコンテンツの作り手となる石原さんと出会いました。これは非常に大きな出会いでした。

STEM教育は、2015年4月から有料コンテンツ「STEMON」 として展開し、学習塾などとの提携も含めて32か所で開催しています。

(子どもはみんなサイエンティスト!)

CEO教師として

中村さんは、CEOとして事業展開する一方、公立小学校5年生に理科(T1)を週3回教えています。

世にも珍しい現役CEO兼小学教師です。

(小学校で教える中村さん)

生徒との交流、クラスに対するやりがいがあると同時に、公教育については複雑な想いもあるそうです。

学校は、文科省が規定した学習指導要領に沿うことが原則です。

指導要領は、理念から始まり、頭の良い人たちが一所懸命作っているだけあってよくできていると思うのです。

これを具体化する流れで、教科書があり、これを教える形になっています。ある意味で、今の日本の公教育は教科書会社が作っているのかなという印象すら受けます。

この仕組みは、画一的ですが良いところもあって、全国の全体水準の底上げには大きく役立っているのです。

教師たちはとてもまじめです。先生たちは教科書に沿って、しっかりと教える。マジメにこの役割を担っていると言えます。

ただ、教科ごとにマジメな職人になるあまり、横断的・柔軟的な学びを教えるのは苦手かなという気がします。

そして、この横断的・縦断的な学びの分野こそが民間として手掛けるべきだと思います。

教師としての経験も活かして、いつか公教育にも還元できると思っています。

日本の教育の歪みを打開するのはボクだっ!

当初の事業選定の時には色々と回り道をした中村さんですが、現在は教育に強い使命感をもって取り組まれています。

社会と教育のバランスが崩れています。この歪みを打開するのは、公教育でも大手教育会社でもない。

やれるとしたら、それは教育ベンチャーだと思っています。

教育だけの人はいる、ベンチャーができる人はいる。ただし、両方持っているのは自分です。

教育学部を出て、ビジネス経験がある、ネットワークもある。

「教育の歪みを打開する新しい教育ベンチャーを立ち上げ、スケール化していくのは僕しかいない」、そう思い込んでいます(笑)

現在ヴィリングでは、学童が4か所STEMONが32か所で開講しています。

STEM教育に関しては、Ed/tech(教育のオンラインサービス)や、プログラミング・ロボットのプログラムを提供している会社はたくさんあるそうですが、「リアルの世界でエンジニアリング(物理)」をやっているところが大きな違いとのこと。

「創ることで学ぶ」コンストラクショニズムにこだわるSTEMONならではのプログラムです。

(ステモンは全国32か所で展開。現在、加盟に向けての説明会を実施中だそうです)

探究型学習塾BOKENを入れた3つがラインアップとなります。

(やりたかった探究型学習がプログラム「BOKEN」に進化!。筆者は個人的にこれに一般参加したいw)

最後に中村さんは、STEMONを全国に広げ、既存の学校や塾がカバーできないような学びを提供していくことを強く宣言してくれました。

中村さん曰く、学びには、①知識を学び、たしかめる。②複数の要素を組み合わせて新たな概念を想像する、の2つのステップがあって、ヴィリングとしては後者に積極的に取り組んでいくのだと。

 

インタビュー後記

今回は3時間を超えるロング・インタビューでした。インタビュワー失格なのですが、私も熱くなって1時間くらい(もっと?)しゃべってしまったかも(苦笑)。

この「教育への情熱」シリーズは私の強い好奇心が出発点ですので、その辺りはご容赦ください。

 

話しながら、中村さんとは「大胆なのか、慎重なのか?」、「現実的なのか、夢見がちなのか?」

いったいどっちの人なのだろうかと思っていたのですが、結論は「どっちも」でした(笑)

見た目も語り口もとてもスマートな方ですが、事業選定で回り道をし、チームや資金繰りに苦労した5年間が彼の元々もっていた大きな器を更に広げたように感じます。

 

中村さんはかつて、サッカーは上手だけどプロを目指しませんでした。

しかし、今の彼は違います。

目指すものに対して、強い使命感を持って、がむしゃらに泥臭くボールにくらいつくプロです。そして、実現させるスキルが高い。

 

元銀行員として(←ちょっと頼りない銀行員でしたけどw)、ヴィリング社のビジネスモデルを見てみましょう。

学童保育で安定したベース収入を確保した上で、収益性の高いSTEMONやBOKENを飛び道具にして利益を上げていく構造になっています。

苦しかった資金繰りも乗り越えて、安定性と収益性をうまくバランスさせられる時点までこぎつけたということでしょう。

ですから、当面は、STEMONの規模拡大に注力できる状態にあります。

投資家さん、ご興味があるなら早い方がいいですよ!本人にその気があるかは内緒ですが(笑)

 

公教育に愛着を持ちつつ、あえて「教育の歪みを打開するのはボクだっ!」と宣言している中村さんが、日本のリアルSTEM教育の先駆者としてどこまで突っ走るのか。

私には楽しみでなりません。

 

最後に、彼のお気に入りの言葉「やっちゃえ、ニッサン」にちなんで、私も彼に大声で言いたい。

「やっちゃえ、ヴィリング!やっちゃえ、中村さん!」

 

 

<中村さんからのお知らせ>

・学童保育スイッチ・スクールにご興味の方はこちら http://www.afterschool-lealea.com/

・理科教育STEMONにご興味の方はこちら http://www.stemon.net/

・探求型学習塾BOKENにご興味の方はこちら http://www.boken-tankyu.com/

・STEMONの導入にご興味の塾・学童保育の方はこちら http://www.stemon.net/fc_lp/

 

 

<インタビュワー:堺谷武志>

大阪出身、京都大学工学部、南カリフォルニア大学MBA、三菱UFJ銀行を経て、キッズアイランド設立。保育士。一女の父。

現在「都会の子どもに『ソダチバ』を!」プロジェクト推進中
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